空振りの旅

急いでいるようでいて、それほどでもない。根は呑気な和枝と廉の頭上には、いつの間にか秋の気配を感じさせるような高い空が広がっていた。

ピアノ探しはやみくもに出かけていっても満足のいく結果は得られない。出物の情報を待つ時間も必要だった。和枝の出身音大、かつての職場関係など情報源はいくつかあったが、長らく懇意にしている調律師の伊東さんをとりわけ頼りにしていた。

家での調律ひとつとっても、和枝の人生にピアノがどれだけのウエートを占めているかを感じ取ったうえで作業をしてくれていた。そういう細やかさがあった。

今回のピアノ探しにおいても「メーカーのイメージに引きずられず、とにかく一台一台、音色に耳を澄ませて決めてください。それこそ一生の付き合いになるのですから」と口酸っぱく言ってくれていた。

情報を待ちながらも何かヒントを見つけようと二人は四カ月ぶりにピアノを見に出かけた。それは国産メーカーの販売店ではなく、あの新高島ピアノサロンだった。

成田社長から「正規特約店になったということで新品のスタインウェイが入荷しました。店内の模様替えもしましたので、ぜひ」との連絡をもらっていた。二人とも「新品ってどんな感じなんだろう」と出向かずにはいられなかったのだ。

新高島は貿易港の香りがする街だ。

輸入ピアノを探すのにお似合いの場所と言えるかもしれない。二人はうきうきした気分で店の階段を上がっていった。

冬に初めて訪れたときにもあったO型ともう一台のO型の中古は計二台、そして新品はB型、O型と、その中間のサイズのA型が一台ずつ、これは表通りに面した明るい窓辺に置かれていた。

和枝は目をつぶり、ショパンのノクターン13番ハ短調を滔々と弾いていく。ゆったり音を転がしたかと思うと突然ぴょんと立ち上がり蜜蜂みたいに忙しげに隣に移り、また目を閉じ曲にのめり込んでいく。

コントを見せられているような感じもするが、和枝本人は真剣そのもので、その動きは芸術家らしくもあり、道を究める学者にも見えたりする。

ひと通り試弾した頃合いを見て「どんな感じ?」と聞くと、「何もわかんない」とあっけらかんとしている。

どういう頭の構造をしているのだろうと苦笑するしかないが、どんなピアノに出会えるのだろうとわくわくしている今が一番幸せな時なのかもしれないと廉は思った。

【前回の記事を読む】【小説】ショパンの曲『幻想ポロネーズ』が、僕と彼女を近づける…