第一部
八
そこで、後継者の話し合いが行われ、市場村庄屋の責任者は、同じ白河一族の本家筋にあたる白河藤左衛門に決まったのである。つまり、本来の姿に戻ったということだ。
ただし、純之助は、そこのナンバー2ぐらいの役職につくことが許された。恐らく、父、佐治衛門のもとで若いながら庄屋稼業をかなり教え込まれ、その上、純之助を自分の後継者にしたい気持ちを親戚や周りの者に根回ししていたようで、それが効を奏したのだろう。
ところが、これを快く思わない人物がいた。それは民の婿である度助だ。年齢的に言っても純之助より十歳以上も歳は上だ。しかも度助は姉の婿であり、幼少の頃には純之助を「ぼんぼん」と言ってかわいがり、大きく成長するにつれて、あれこれと仕事を教え手伝い、親身になって育ててきたつもりだ。普通なら、自分が後継者に指名されていいはずだった。
しかし、佐治衛門はそれを望まなかった。どうしても、自分と血のつながった実子に跡を継がせたかったのだ。実際は、そんな父の思惑に反して年齢的にも器量的にも純之助はまだその器ではなかった。そのために佐治衛門の死後、本家筋の藤左衛門が話し合いで次期庄屋の責任者につくことになったのである。
その時、度助には自分が後継者に指名されていれば、ほぼ間違いなくなれていたという自負心があった。それなのに、父親が未熟な純之助を後継者に指名していたから、本家に庄屋稼業を持っていかれたのだと、内心、大いに悔やんだのである。しかも、若い純之助が自分より上のナンバー2に奉りあげられた。
恐らく、ぼんぼんタイプでお人好しの純之助の方が、言いなりになりやすく思い通りに扱いやすい、と本家の人たちは読んだのだろう。いや、確実にそうだ。度助はそう確信したが、どうしようもなく義弟を見守るしかなかった。
かくして市場村の庄屋は本家筋に移ったが、かといって純之助の家の収入が激減して貧乏暮らしに戻ったというわけではない。当時は何でも世襲制で、役割や権限もかなりの部分世襲で引き継ぐことができたのである。
しかも、純之助にとって幸いなことは、先代が庄屋の責任者を務めていた間、かなりな資産を蓄え残すことができたということだ。
前にも一度触れたが、全国的に見て経済的に豊かな庄屋の中には貸金業を営む者も多くいた。一族の中でもやり手だった先代(佐治衛門)と先々代(小兵衛)は、二代にわたって小規模ながら貸金業を兼業でやっていたらしい。
それで結構儲けて、資産を増やすことができたのである。その資産はそのまま純之助に受け継がれたわけである。