【前回の記事を読む】大きな会社に入れた喜びも束の間…入社後痛感した「厳しい現実」
第二章独身時代、青春を謳歌する―日本復興の熱気の中で
神戸の街に誘われて
私もあるときから班が変わり、十四時出社となってしまった。これでは学校に行けないと思うと、どうしても早退したり、休みをとったりしなければならない。
そんなある日、事務所から担当課長に呼び出され、説教されてしまった。
「キミは仕事が大事なのか、学校が大事なのか」
そう問われれば、仕事が大事だとしか言うことはできない。生きるために働いている。仕事を奪われれば無職になり、これから自分はどのように生きていけるかもわからない。
「キミは大事な工員なのだから、がんばって仕事をしてほしい」
担当課長は優しく私をいさめてくれた。言葉は温かかった。だが東大出のエリート課長に私の気持ちなどわかるかと、職場に戻りながら、あふれる涙が止まらなかった。
ちなみにその担当課長は、ずっと後に川鉄の社長にまで上り詰めた。私は週刊誌で紹介されている記事を読み、当時のことがハッと思い出されたのである。私のことなど覚えていないだろうが……。
情熱を神戸の繁華街に注ぐ
工場での仕事は厳しかったが、定時制高校に通うことをあきらめた頃から、毎日が楽しくなってきた。それはなんと言っても自由に遊べるお金と時間があったからだ。ある意味、仕事は仕事として、割り切るようになったからだろう。
工場と寮がある神戸は、華やかな街である。ずっと熊本で育ってきた私にとっては、まるで外国に来たようなきらびやかさがあり、最初の頃は圧倒された。三宮や新開地など、若者にとって魅力的な街は、毎日繰り出しても飽きないほどだった。職場では同い年の気の合う友人ができた。有江くんと広瀬くんだ。
二十歳頃になると、給料をもらうと三人で、夜の三宮や新開地に繰り出すのが常だった。音楽喫茶やスナックなどハシゴをして盛り上がった。
昭和三十年代はじめの頃のことである。戦争に敗れ荒廃した日本が徐々に力を取り戻し、高度成長期へと続いていく。まだ社会全体としては貧しかったものの、人が集まる都会には、不思議なパワーが満ちあふれていた。もちろん若さもあったのだろうが、私たちもそんな時代に乗り遅れまいと、ハチャメチャに遊び回った。