カラスのクロ
居候のカラス
家族がそろって夕ご飯を食べているときに、父の和夫さんが、
「ちょっと図鑑を調べてみたら、このあたりで見られるカラスにはハシブトガラスとハシボソガラスがいるそうだ。このカラスはピョンピョンと両足で跳ねるから、ハシブトガラスだと思うよ。ハシボソガラスは歩いたり、走ったりするのが得意だそうだよ」と話しました。
「そうだ、クチバシがごついから、ハシブトガラスに違いないよ」
と一郎があいづちを打ちました。
その後、食事の片付けをしながら、
「カラスに名前をつけてあげよう。何がいいかね」
と母の春子さんが言いました。
「カラスは英語ではクロウというから、色が黒いし〝カラスのクロ〟がいいじゃない」
と父の和夫さんが言いました。
「クロは言いやすいし、いい名前だ」
と一郎も純二も弟の宏も賛成しました。
「クロは毎日どこへ飛んでいくのかな?」
と純二は不思議に思って、兄の一郎に尋(たず)ねました。
「待兼山にはカラスがたくさん棲み着いているから、クロは違うところに行くのだよ。箕面の山まで行っているかもしれないね」
と一郎は分かったような答えをしました。
進駐軍
ここで話を6年前に戻します。長男の一郎が幼稚園に行くことになった頃のことです。
大学会館は待兼山の上で、近くには人家はありません。幼稚園までは大学のグランドを横切って、森の横の小道を抜けて、二つの大きなため池の間の細い道を歩いて、子どもの足で30分くらいもかかるのです。池の横の道を過ぎると坂になっていて、その上には、焼き場がありました。当時の火葬場です。人里離れた山の上で亡くなった人は焼かれていたのです。焼き場の近くが一番怖い場所で、ここを過ぎるとススキの野原の中を下っていきます。
坂の途中に中学校があり、その先の小学校と幼稚園に着くのです。戦後の乱期混には、子どもがさらわれる事件が頻発していました。和夫さんと春子さんは一郎を人通りのない道を通わせるのは心配でした。あるとき、田舎のおじいさんが、孫の一郎が幼稚園に行くようになって、どんな生活をしているのかを見に訪ねてきました。