原発事故の国と東電の責任を追求した代表的な訴訟であり、第一審では4億9000万円の損害賠償の判決を得、2020年9月の第二審判決では第一審の倍以上の 10億1000万円の賠償を勝ち取りました。東電ばかりでなく国も東電と同等の責任があると認めた内容に、専門家も画期的とした判決でした。

勝利を喜ぶ原告団の姿が報道されていましたが、これは本当に喜べることなのでしょうか。

「生業訴訟」で原告団が求めていた損害賠償額は215億円でした。判決はその20分の1に過ぎません。3550人の原告(約100人の方が裁判中に亡くなりました)に対して10億円ですから、一人あたり30万円に届かない額です。

一方東電の株主が旧経営陣5人に対し提訴した株主代表訴訟では、このうち4人の被告に対し連帯して13兆円を支払えとの判決が、2022年7月13日に東京地裁より出されております。この金額の違いは法律のいたずら故なのでしょうか。それとも法曹界はまじめに正当性を議論するのでしょうか。

また、民事訴訟とは別に、東電の旧経営陣3人を業務上過失致死傷罪で起訴した刑事訴訟がありますが、こちらは2019年9月に3人とも無罪判決が下されました。15メートル級の巨大津波が押し寄せる危険性を警告されていたにもかかわらず、それを無視して対策を講じなかったとその責任を追求したものでしたが、東京地裁は、3人は津波を予見できたとしても十分な対策を行えたかは明らかではないと、無罪を言い渡しました。東電自体の刑事責任は問われませんでした。

住民の避難をはじめ、事故による被害は「国が乗り出して救済」しました。国民の税金が使われたのです。

果たして原発事故を起こした当事者たちは本当に責任を取ったのでしょうか。原発事故により亡くなられた方、避難の過程で亡くなられた方、生計を絶たれた方、この人たちへの補償がなぜたったの30万円、といった金額なのでしょうか。これで被害者の原状は回復されたのでしょうか。

責任を取るべきは東電であり、負担の限度を超えていれば東電は破産させ、まずは利益を求めて投資や融資をした東電の株主や債権者に負担をさせるべきではないでしょうか。そのうえで必要なら原発の事業性を見極め、会社を再生させるべきかを市場に問うてみればよいのです。これを被害者に押し付け、国民に押し付ける、なんと理不尽なご都合主義ではないでしょうか。