第二章
三
紀元前434年頃、故郷のカピラヴァットゥを後にした29歳のゴータマは、まず、当時のインドの強国マガダの首都ラージャガハを目差したといわれている。ラージャガハは仏教の8大聖地の一つである。
カピラヴァットゥからは、途中、ガンジス河の左岸(北岸)から右岸に渡って、実際の路程は650km以上あるそうで、食を乞いながら一日30km歩いたとしても、22日はかかる計算になる。
ラージャガハは、今はラージギールと呼ばれているが、周囲は五つの山に囲まれている天然の要塞であった。五山の一つがギッジャクータ(鷲の峰。漢訳・霊鷲山(りょうじゅせん))である。ラージャガハは、当時、インド最大の都市であったという。そこで托鉢するゴータマの姿はマガダ国王ビンビサーラの目にとまり、武人として王に仕えるよう声をかけられたが、ゴータマの関心は覇権にはなかった。
幻影が中田に入ってくる。幻影がゴータマの言葉となって語り始める。
「わたくしはラージャガハで、バラモンを批判する多くの出家修行者と交わった。彼らは、バラモンの〈バラモンは生まれながらに人間の最高の階級であり、バラモンだけに神の教えを伝え、バラモンだけが祭式を行って心身を清めることが出来る。〉という主張を認めない。その点はわたくしも同じであったが、出家修行者の或る者の主張は、わたくしの同意できるものではなかった。
『人を殺しても、与えられないものを奪っても、他人の妻と通じても、噓を言っても、何ら罪悪ではない。』」
「わたくしは或る日、行乞中に、コンダンニャとよく似た沙門と擦れ違った。立ち止まって振り返ったわたくしに、相手も歩みを止めて、わたくしに顔を向けていた。コンダンニャだ。コンダンニャはわたくしを追うようにしてラージャガハに来たとのことであった。
わたくしはコンダンニャと竹林に向かった。そこにはコンダンニャと修行を共にしている、4人のシャカ族の若者がいた。バッディヤ、ヴァッパ、マハーナーマ、アッサジであった。コンダンニャはわたくしの父からの伝言として、『急がず、休まず行え』と伝えた。コンダンニャは昔からせっかちなところがある。
伝言のそばから、安らぎを教えてほしいと切出した。そのようなものがあるなら教えてほしい、とわたくしはコンダンニャに問うて、二人で笑った。」