それから長兄によれば、母は大水に流される前、持っていた金の延べ棒に自分の歯型を印として押しておいたそうです。そうして洪水の後近所の貴金属店に行って、もし金の延べ棒が拾われて自分の歯型がついたのが出たら、それは私のものですからと言ったそうです。そして数年後、その金の延べ棒が出てきたそうです。すごいお話ですね。
【カスリーン台風】
1947年9月15日
カスリーン台風(カスリーンたいふう、昭和22年台風9号、国際名:カスリーン/Kathleen)は、1947年(昭和22年)9月に日本に接近し、関東地方や東北地方に甚大な浸水被害をもたらした台風である。カスリーン台風やキャサリン台風などとも呼ばれる。台風本体の勢力の割には降水量が多い「雨台風」の典型的な例とされている。
足利市での被害状況
死者252人
行方不明者67人
家屋の流失372戸
家屋の全壊328戸
家屋の半壊257戸
床上浸水1万1976戸
床下浸水5773戸
(出典「広報あしかがみ 2017年9月号」)
ドブロク
一九四七(昭和二十二)年九月にカスリーン台風で渡良瀬川が決壊し、私達家族は大変な被害を受けました。長女の赤ちゃんが亡くなり、次男が行方不明となりました。結局次男の遺体は見つかりませんでした。
家が流されて何もないので、地べたで野宿したような光景を記憶しています。今は避難所がありますが、その当時は悲惨な状況です。その後どうやって生きてきたのかわかりません。
一九四八(昭和二十三)年頃、私が六歳くらいになった時だと記憶していますが、両親は生きるためにドブロクを作り始めました。当時ドブロクを売って生計を立ててきた韓国人が多かったようです。
ある時、私と下の姉、弟の三人は裏の小屋に隠れて、ガタガタ震えていました。庭は捨てられたドブロクで真っ白です。大人の男の人が乗った三輪トラックが家の前に止まり、十人以上の人が私の家に入り込んできました。
私達三人の姉弟はしっかりと手を握り合って、じぃっと怖くて隠れていました。大人の男の人達はドブロクがないかどうか探しているのです。何だか私は悪夢を見ているようで、その時の光景を八十歳になろうとしている今でも鮮明に覚えています。