第1章 朝鮮から日本へ
カスリーン台風 渡良瀬川の大洪水で九死に一生
一九四七(昭和二十二)年、戦後二年経った九月のことです。私は四歳になっていました。
私の家は二階建てでしたので、長く雨が続き渡良瀬川が決壊する恐れがあると、近所の人々が私の家にたくさん避難してきていました。
しかし、この二階建ての大きな家が大洪水に流されました。当時一緒に住んでいた家族は、両親と二歳の弟、四歳の私、六歳と十二歳の兄、そして二十二歳と二十歳の姉、姉の子供と夫でした。家族で亡くなったのは、姉が背負っていた自分の赤ちゃんと八歳の兄です。彼は川の水がどのくらい増えたかと見に行く途中で洪水に遭い、行方不明になって母を悲しませました。
十人の大家族で二人が亡くなり、八人が助かりました。それでもたくさん助かったほうです。二つ下の姉と三男の兄は近くのお宅の庭の竹藪の中で助かったと言っています。昔から竹藪は災害の時大変助けになると聞いていましたが、実際、本当のようです。
また水害の時は二階建ての方が一階建てより安全のように思えますが、近くの家で助かった人達は、皆一階建てでした。二階のほうが頭でっかちなので水害には危険だと、後から大人に聞きました。特に私の家は、裏に小さい小川のような川が流れていたので、あの小川が呼び水になり家が洪水に流されたのかもしれないと言っていました。
当時私の家が二階だというので近所の人が結構避難に来ていたようです。その中でどのくらいの人が亡くなったかは私も知りません。
私はたった四歳だったので記憶が曖昧ですが、母と行方不明になった二男の遺体探しについて歩いたことを覚えています。
また、家がだんだん傾げて水の中に沈んだのは夜でしたので、周りが見えずあまり恐怖は感じませんでしたが、私の口の中に、ジャリジャリと異物が入ったのを感じました。その後どうなったのか記憶がありません。結局私は家から五百メートルくらい離れた火の見櫓に流れ着いていた、古い農家の家の麦藁屋根の中に寝ていたのです。その時、麦藁は温かいものだと感じました。
実は四、五年前、長兄に洪水のことを書き残したいからその時のことを教えてほしいと自宅を訪問したことがあります。彼は「大水の時、火の見櫓の近くで、自分の足元に何かあると思い髪の毛を引っ張った、それがお前だった」と話してくれました。
そんな話は初めて聞きました。つまり、私は長兄に助けられたのです。本当に九死に一生を得ていたのです。奇跡です。生命は生かされているのだと思いました。
三男と長姉は、同じ場所にあるお宅の庭の竹藪で助かった、と言っていました。やっぱり竹藪は大切ですね。特に洪水の時は。