11月11日(木)

朝、停留所へ行くまでにいろんなことを考えてました。他人のためならどんなことでも、自分をぎせいにしてでもつくすのが義務です。まして信者である私が幸福で、幸せすぎて、他の貧しい人々はとても苦しんでるというのに…‥それであってはいけないことだ。私も貧しい人々同様に苦しまなければならない。そして少しでもそんな人々の仲間入りが出来たらすばらしいことだろうと思った。

少しでも苦しみを一致させ、神様への純すいな愛の心、希望の心を持ちつづけたらこれも又、すばらしいものになると思いました。今は私の一番の良い機会なのです。良いチャンスなのでしょう。一生かかる苦しみかもしれないけれど、そんな貧しい彼らへの愛がささげられ、一致できることをほこりに思いたいと思います。

今日プログラムで守れなかった主なことは、……。

☆今日の授業は三時間で昼ごろ帰って来ました。けれど私は母の手伝いを一つもせず、悪いことに、目の前で母がいっしょうけんめい干したふとんを片づけているのに私はTVを見て、知っていながらわざと手伝わなかったことでした。

他人から見ると私は

”何て女だろう。あれでも女かしら。男の人だって声ぐらいはかけるものを”

と言いたくなるでしょう。

11月15日(月)

今日はとても調子がいいんです。何ごとにも満足でした。けれどシスターの授業の時、私は大変なことをしてしまいました。まじめに聞いていたのはいいんですが、まじめすぎて、シスターに悪い感じを与えたのか、私にもよくわからないけれどもシスターがごちゃごちゃと何やら気にくわないことを言いはじめたのです。

時々ですが、私にはいやな感じが心にひびいてきました。シスターでも人のいやがることをするのかしら……。わかってるくせに、わからないような平気そうな意地悪い顔をしてこっちをにらんでいます(私はそう感じました)。

私はあんまりくやしいものだから、にらみつけてやったんです。一度だけど……。にらんでからは、あまり反省もしませんでした←(いけないことですけど)。だって私は考えてみると何も変な気にさわるようなことはしてないつもりなのに、にらみつけられたりすると、いやになるのもとう然だと思ったからです(この時、女とはいかに卑れつな動物であるかわかった)。

英語の時間もいつも私は先生の目からのがれることはできないのです(迷惑)。そんなことがあったので、授業がいや~になってしまいました。でもこれからの家庭科のシスターの時間はどのようにすごそうかと迷っています。話を聞いていても人々はいやな感じしか与えないし、聞いていないと注意されるし。

あ~あ、たいくつな日々に、そして友達からは誤解の目を向けられるしまつ。私はどうすればいいとお思いですか?