祖父に見た祖父像
古希まで上り詰めた我が身からすると、遥かに霞見えるぐらいの昔話になる幼少期の頃であるが、夕食を母屋で済ませた後に別棟で隠居生活をしている今は亡き祖父母の所によく行っていた。行った際には、玄関からすぐの障子戸を開けるなり必ず
「今晩は!!」
と言わなければ怒られる。幼少の頃なので、挨拶言葉であるとも知らず、怒られないようにするため、呪文の如く祖父の前では言わなければならない。
祖父と何か話があるわけでもなく、冬場の寒い時期なので暖を取りに行っていたのが、正直なところかもしれない。祖父たちの部屋は、障子戸を開けるとすぐに囲炉裏があって、自在鉤に鉄瓶が掛けられ、注ぎ口から湯気がゆるゆる立ち上り、とろとろした柔らかい火がいつも焚かれている暖かい部屋であった。
そのとろ火で膝小僧などを炙りながら、祖父たちの囲炉裏端の夕食を、ぼんやりと見ていることが常だった。ゆったりした仕草で、小さな卓袱台で食事を取っている祖父たちの姿は、子供ながらにもほっとする冬の暖かい時間が流れる光景であった。
その夕食後に祖父が、囲炉裏の熾火を火箸で取り、刻みたばこを詰めたキセルに火を付けて吸う一服は、傍目にはとても旨そうに見えた。吸っていたキセルたばこは、一息吸う度に
「ピコッ! ピコッ!」
と音を立てる。なぜ音がしているのか不思議だなぁ? と思いながらも、そのピコピコ音がおかしく、しかし、妙に耳に心地良く響いていた。吸い終えると囲炉裏の淵でキセルの先をポンと軽く叩き、吸い殻を灰の中に落とす。そしてまたキセルにたばこを詰める。その動作を三、四回繰り返し吸い終える。今思うと祖父自身もピコピコ音を楽しみながら吸っていたことで、たばこの旨さを感じ取っていたような気がしている。
中学生の頃になると、祖父の髪の毛をよく刈らせられた。まず衣服のカバーとして、使い古して壊れたコウモリ傘の生地を外したものを頭からすっぼり被せて始まる。バリカンは、酷く切れ味が悪いもので錆びており、そのために、よく髪の毛がバリカンの歯に食い込むので、その都度歯を外して掃除してからまた始める。全てを刈り終える頃には手と腕が痛くなり、とても疲れてしまう。
この時に祖父の老体から発せられる老臭が今でも鼻腔細胞に残っていて、たまに思い出される。亡き母は、祖父の体臭は私にそっくりだと言っていた。言われるとそうかもしれない。ただ、そのことは孫としてしっかり祖父からの遺伝子を受け継いだ証になり、嫌ではなかった。