いっそ、ここから飛び降りてみる……。悪くないように思いました。が、冷静になってみれば、ただ自分の所在なさから自棄になっていたところもあったのかもしれません。それに、自分から飛び降りるにはまた別の、過剰なまでに大きな勇気が必要です。目をつぶり耐え続けることでさえ渾身であったのだからこれ以上の勇気はもう出せない、とひとしずくはすぐにあきらめたのでした。

そのときです。葉緑の粒たちの頑張りが功を奏し、クマザサがまた一段と大きな伸びをしました。逡巡していたひとしずくは、クマザサの伸びの気配を察するや否や、ゆさぶられ落ちることがないようからだ中に力を込めました。

けれども春への決意に己をすっくと正しきったクマザサを前にしては、ひとしずくの、水滴のたった一粒である彼のふんばりなどどれほどでしょう。ひとしずくの微力は到底及ばず、軽いからだは葉の表面を踊るようにして滑り、ちょうどクマザサのそばを吹き抜けた春風のいたずらもあって、さらに右へ左へとなすすべもなく煽られてしまいました。

実をいえば、ひとしずくが生まれてからこれまでの出来事というのは、人間にとって、秒針が数回まわった程度の時間でしかありませんでした。この森にとっては、静謐(せいひつ)極まるほんの瞬き程度の時間であります。背の高い樹の頂きに引っかかっていた山鳩の羽根が、何度もそよ風に吹き上げられ寄り道をしながら、地上に舞い落ちるまでのあいだ。

これと同じか、少し短いくらいの出来事でありました。時間の尺度というのは誰にでも公平ではないのです。

ひとしずくはどこへ行ったのでしょう。ひとしずくはまだクマザサの葉におりました。といっても、クマザサの葉の節くれだった一本の葉脈にぎりぎりしがみついているという有様でしたが。風に煽られ、このままでは葉から滑り落ちてしまうという瞬間、つるつるとした葉の表面では危ういとみるや、クマザサの葉の繊細な表層を幾重にもかき分け葉緑の粒さえ押しのけて、丈夫な縦筋のそれを必死で握りしめたのです。

それでも少しずつ少しずつ、見えない強大な重力がひとしずくの小さなからだを地面の方へと引っぱります。ひとしずくは尚も抵抗しながら、からがら葉脈を必死につかんでいました。けれどもツツツと滑り落ちることはできても、上へのぼることなどできません。ついには葉の縁にぶら下がるような恰好になって、すんでのところであわやこらえているのでした。

 

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