3 命の危機に! 開業を決意
その後横須賀共済病院へ異動となりました。糖尿病担当の医者は、二人しかおりませんでした。二人で代わる代わるに毎日午前中に100人近くの外来患者さんを診察しなければなりません。
午後からは病棟で入院患者さんの診察、そして指示書を書き、夜中も患者さんの急変で呼び出されることがしばしばありました。それでも何とかこなしていました。睡眠が取れない時もありました。食事も取れる時に取るような不規則な生活でした。
ある時、唯一の相棒の先生が、あまりにハードな仕事だったため入院してしまいました。私一人で二人分の仕事をこなさなければならなくなり、この私もあまりのハードさに眩暈が出現するようになりました。
このままでは、自分の命が危ないと感じ、妻や娘に遺書まで書くほどになりました。そこで開業を決意。中島内科クリニックを開業いたしました。眩暈は完全に治まりました。
4 医療法人 「ゆるぎない愛」について
開業10年が経った頃、医療法人にしました。宗教法人と間違えられる「ゆるぎない愛」には、ゆるぎない理由があります。糖尿病では患者さんが、実は自分が食べ過ぎていることをわかっていながらもやめられず、そんな自分にストレスを感じ、そのストレスが副腎皮質ホルモンであるコルチゾール分泌を促し、血糖値を上昇させている場合があります。
そのストレスを改善するために、筑波大学の心理学の准教授が、カウンセリングに来てくれました。その方法はSAT構造療法といい、その理論はかなり難しいものです。
カウンセリングを2時間受けた患者さんは全員と言っていいほど、ストレスが改善し、血糖値の平均値であるヘモグロビンA1cが改善したのです。
そこで私は准教授に、「どうして皆さんストレスが改善し、血糖値が良くなっているのですか?」と質問しました。その答えは、「難しいことはともかく、ゆるぎない愛です!」というものでした。先生はゆるぎない愛を持って患者さんと向き合っていたのです。
やはり人生で、一番必要なのは、ゆるぎない愛なのだと思いました。私はそのまま医療法人名としました。