【前回の記事を読む】日雇い労働、ホスト、ダンサーを経て…型破りな医者が波乱万丈の人生を明かす!
第一章 私の人生
2 初めての運動療法立ち上げ事件
横浜市大から、藤沢市民病院の消化器内科に異動になりました。当時は糖尿病内科などの科はありませんでしたので、各科が片手間に糖尿病の患者さんを診療していました。
そこですべての糖尿病患者を私に任せてほしいと院長に直接志願し、そのすべてを任せていただきました。その後糖尿病患者はどんどん増加していきました。
オリンピックを目指していた私は、もちろん運動が好きで、運動療法は糖尿病に絶対良いと思っていました。そこで患者さんを募り、外来診療に間に合うよう、朝6時30分に集合。病院の隣にある公園(当時の白旗公園)を30分ほど歩き、運動前後に採血し血糖値やアドレナリンなどのホルモンを測定するという企画です。
さっそく病院会議が開かれました。しかし、看護部長達が、「事故が起きたらどうするのですか?」と発言し、全員に反対されました。
企画が潰れそうになった時、私の上司だった関先生が、「私も一緒に歩きます!」と言ってくれたのです。そのおかげで、何とか毎週月曜日の運動療法をスタートさせることができました。
しかし参加者が少なかったので、とある新聞に直談判し、湘南版に写真入りで掲載していただきました。掲載された時の反響は絶大で、それまで反対していた看護師全員が、「先生素晴らしいですね~!」と寝返ったのには、ビックリしました。
私はその関先生の行動を見て、すべての責任を負う覚悟ができるようになった気がします。