その後大きく私の人生を変えたのは中学のクラブ活動でした。友達が入っていたハンドボール部に入り、競技にすっかりはまってしまったのです。

男子校の中学にいた自分が、女子高校と練習試合をしました。かわいいのにとても強く、感動してしまいました。これが、不純な動機で何かを始めた最初の経験です。いつの日かハンドボールでオリンピックに出場したい! が私の人生の目標になりました。

そのためにハンドボールが強い大学に入ることが一番の目標になり、工業高校に通いながら受験勉強に励みました。後にも先にもその高校から医者になったのは私一人だと思います。

そして見事にハンドボールが強い早稲田大学、東京教育大学(今の筑波大学)に受かり、経済的理由で教育大理学部に入学しハンドボールに明け暮れました。しかし体育学部以外での入部は私が初めてで、私以外は全員インターハイ出場経験ありの超エリート集団でした。私は1年半で才能のなさを感じ人生最大の挫折を迎え、ハンドボール部を辞めました。

人生の目標を失った私は野獣のような生活を送りました。折しも学生運動が盛んな頃でしたので、入試が中止になり、大学は閉鎖となりました。