第一章 私の人生

まずは、私の人生についてお話ししたいと思います。これまで、たくさんの困難と努力、いろいろなものとの出会いがありました。どれも、今の私を語るうえで欠かせないものです。波乱万丈の私の人生をご紹介します。

1 私が医者に?

私は、昭和23年1月に疎開先の東京深川の臨海小学校で生まれました。父は警察官、母は小学校教師です。2歳の時に世田谷区千歳船橋の都営住宅へ引っ越したとのことで、私の記憶があるのはこの頃からです。

 

近所の子供達と元気に小学校に通い、その頃の世田谷は田んぼや野原だらけだったので、毎日ドジョウやザリガニ釣りに明け暮れていました。古き良き思い出として残っております。その後中学受験をして今は廃校となってしまった都立世田谷工業高校付属中学校に入学しました。入学当初は、勉強もしていなかったので、クラス50人中39番目の成績だったのを覚えております。

そこでは、今でも覚えている自分の性格を表すようなエピソードがあります。非常に怖い丸坊主の生物の先生がいました。その先生は生徒全員にこの世の中で一番大切なものは何か一人一人に発表させました。

先生は生物の先生だったので、命と答えさせたかったのだと思います。もちろん、ほとんどの生徒が命と答えました。しかし、私は「正義」と答えました! 今でも正義のために生きているように思います。

そして中学2年生の時に勉強に目覚めました。津田塾の英語塾に講習を受けに行ってみたら、何と成績が39番から一気に2番に跳ね上がり、クラスのみんなの前で担任の先生に褒められたのです。それがきっかけで勉強が好きになりました。この手法は今でも患者さんの生活改善の方法として使っています。

例えば、減量してスマートになった時や、顔がスッキリした時などは、美しくなった! かっこよくなった! と言ったりして動機付けの一つにしています。