『海の翼』秋月達郎 新人物往来社 二〇一〇年
トルコとの篤い絆
一八九〇年(明治二十三年)九月、和歌山県の最南端、大島の沖でオスマン帝国(現在のトルコとその周辺)の軍艦エルトゥールル号が遭難した。台風で荒れる海の中で大島の村民はこぞって遭難者の救助を行った。本書は実際に起こったこの事件を基にして書かれたドキュメンタリー小説である。
この事件では乗組員六百名あまりのうち、生存者はわずか六十九名であった。幸いにして生き残った彼らは、日本の軍艦二隻により、オスマン帝国の首都イスタンブールまで送られた。
時代は下って一九八〇年代後半、中東の国イランとイラクは八年にも渡る長い戦争の渦中にあった。しびれを切らしたイラクの大統領サダム・フセインは最後通告として、イラン上空を飛ぶ飛行機を無差別攻撃すると伝えて来た。
この国に働きに来た人々や観光客は大いにあわて、自国から迎えに来た特別便で、イランを離れた。しかし、日本からは迎えの飛行機は飛ばなかった。自衛隊は法律上の制約から、民間機は労働組合の反対からであった。多くの外国人が去って行く中、取り残された二百名を超す邦人は不安におののいていたのである。
私もその当時、イランに滞在する邦人がこの先どうなるのかと大きな不安を覚えつつテレビで見まもっていた。
そんな中、在イランの日本大使は友人でもあるトルコ大使に日本人を戦禍から救うため、特別便を飛ばしてくれないかと依頼した。欧米各国の飛行機は自国民のみ助け、冷たく去って行く中での出来事である。トルコは自国民がまだ六百人もイラン国内に残っているにもかかわらず、日本大使のこの依頼を快く引き受けてくれた。大使の心の中には百年前のエルトゥールル号遭難事件での恩義があったからなのだ。
エルトゥールル号遭難事件は、トルコでは小学生の教科書にも載っているという。日本国内では、あまり知られることもなかったが、トルコへ帰還した乗組員は日本の、そして日本人の手厚い援助に心動かされ、感動を持ってその話を後世に伝えて来たのである。そして「日本人が困っていたら、次に助けるのは我々だ。」という気持ちを百年間ずっと持ち続けてくれたのである。
感動的なこの二つの出来事を繋げ、これから先の日本とトルコの関係を素晴らしいものにしたいという作者の気持ちが痛いほどに伝わる素晴らしい小説である。
しかしながら、作者は不安も表している。日本人は忘れやすい民族であること、トルコ人より篤くない民族であることなどである。イラン・イラク戦争におけるトルコの民間機の勇気ある救援活動については日本人のいったい何人が知っているのだろうか……。
こんな逸話には本当に心うごかされる。浪花節ではないが、日本人とトルコ人の間だけでなく世界中のすべての人々がそんな気持ちを持つことができればもっと住み良い世界になるのではないかと思う。