ひと呼吸置いてショパンのバラード1番が流れ始めたが、廉の心が温かい涙で満たされる十分間だった。
夜になって友人宅をお暇し、七里ガ浜に帰る和枝を見送りがてら江ノ電鎌倉駅まで歩いた。改札口を通り、振り返った和枝が
「明日のお仕事は」
と聞いてきた。
「えーっと、夕方五時出社で、仕事は午前二時半に終わるかな」
「へえ、モグラみたいな人生ですね~」
ニヤッと笑うと八重歯が覗いた。和枝は翌日から豪華客船「飛鳥」の沖縄クルーズでピアノを弾く仕事が入っていたため、その帰りを待って一週間後に廉から電話をし、二人の交際は始まった。
ただ、デートにはなかなか行けなかった。というのも和枝が「EFG新人ピアノコンクール」にエントリーしたからだ。これは二人が知り合うずっと以前から決めていたことで、和枝は前年の夏から本格的に練習を積んでいた。