【前回の記事を読む】「ちょっとみんなの前で弾いてみようか」軽いノリで娘をコンクールへ誘うと、その結果は…

主題ハ長調

大きなご褒美

和枝は家のレッスン室に、自分が中学から使ってきた今のピアノのほかにもう一台置かせてもらえないだろうかと言った。

「廉、さっきの遥の演奏どう思った」

「珍しく緊張したのかな。ちょっとだけ硬くなってたけど、音楽はのびのびしてたね。練習の時くらいの力は出せていたような気がするけど」

「そうなのよ。今回試しにコンクールを受けさせてみて分かったことがあるの。この子いつもおちゃらけているように見えるけど、実はどうして、ちゃんと考えてピアノやってるのよ。それでね、遥の力を伸ばしてあげるためには新しいピアノがどうしても必要だと思うの。今使ってるのは相当くたびれてしまっているし、廉も知っている通り、前の調律師が、もっと鳴る楽器にしようと勝手に妄想して、あれこれ手を加えて、響板に要らない細工までしたでしょう。あのせいであと十年、二十年弾き続けたくてももう限界が来ちゃってるのよ」

「いや分かるよ、言ってること。でも今のピアノは下取りに出さないで使い続けるっていうのはどうして?」

「やっぱり私にとっては思い入れのあるピアノなの、どんなに状態が悪くてもね。どうしても今すぐ処分する気にはなれない。それにね、レッスンの時あると重宝するのよ。手本を示す時とか、いちいち生徒さんと席を替わらないで済むでしょ。それに2台ピアノの曲の練習が家でできるようになるなんて夢みたい」

「なるほどね」

「遥が音大めざすとか、将来ピアニストになるとか、そこまでは考えちゃいない。だから将来への投資とかいうのではなくて、今のあの子が正面から向き合えるピアノを探してあげたいの」

スーパー銭湯を出る頃には日はすっかり西に傾いていた。ホールに戻ってみると、残っているのは大半が審査当事者のためか、客席もかなり空きが目立った。幼年の部から審査結果の発表が始まった。

「第三十五回全国わかばコンクール幼年の部、入選、平林遥さん」

抑揚のないアナウンスがそう告げた。廉は一瞬事態が飲み込めなかったが、「遥、あのステージの端っこに階段があるでしょ。あそこから上ってステージの真ん中に行きなさい。さあ早く」。

和枝が小声で背中を押すと、遥は身軽にぴょんぴょん跳びはね、あっという間にステージの中央にたどり着き、誰も教えていないのに、ちゃんとお辞儀までしていた。遥の結果は金賞・銀賞の入賞は逃し入選だったのだ。

そして、このあと一般・成人の部まで延々続く表彰式の入選者の総代表として表彰状を受け取っていた。市長から受け取った盾と賞状を押し抱き、たぶん勘違いしたまま真っ赤な顔で席に戻って来た遥。案の定、廉の耳元でささやいた。

「ねえ、遥、優勝したの!?」

ステージ上は幼年の部入賞者の表彰に移っていた。

「遥、ほら見てごらん。遥と一緒に頑張った子たちだよ。みんなが褒められて、きょうはホントに嬉しいね」

金賞とか銀賞とか、それはもらえるに越したことはない。でも遥くらいの歳の子にとっては、「ほかにも頑張っている子はいて、一生懸命練習したから自分もここに来られたんだ」と気付くことの方が大切なんじゃないだろうか。廉はそんなことを思っていた。