江戸時代末期の建築ということだから、築百五十年近い家だった。豪雪地帯で、雪の重さに耐えながらの約百五十年間、揺るぎなく建っているということ自体、どれほどよい材を使ってよい大工が建てたかということだが、実際、観光客がぞろぞろ何十人歩いても、ミシッとも言わない。

しかも見事な細工があちこちに施されていた。格子(こうし)の細やかさ、壁に貼った移動可能な板戸など、忍者屋敷のような工夫の数々。

「凄い技術ですね。いったいどんな大工が建てたんだろう」

「荻町区の大きな合掌は、みんな能登大工が建てたということですよ。この家は、完成するのに十年くらいかかったらしいの」

篠原は驚いた。能登大工というのは神社や寺を手がける高等技術を持つ大工たちのことだ。元々は加賀の前田利家が秀吉から能登に領地をもらった時、出身の尾張から連れてきたという大工集団で、加賀百万石の壮麗な建築物を手がけてきた。

そんな特別な大工に家の建築を頼むとは、荻町区の巨大合掌の家々は神社仏閣級の家を建てられる、途方もない大金持ちだった、ということなのか。こんな山里にどうしてそんな金持ちがたくさんいたのか?

「実は白川郷は、大変豊かな村だったということですね」

篠原は興奮して言った。賛同してくれるかと思ったのに、奥さんは、

「とんでもない。お婆ちゃんたちの話では、昔からずっと貧乏してきたそうですよ。わたしが嫁に来た頃、昭和五十年代ですけど、ようやく観光客が来るようになって。当家も民宿を営んでいて、けっこうお客様が来てくださるようになりました。それまでは、当家の主人も、わたしの夫ですが、口べらしで、東京の親戚に中学生の時から預けられていた、というくらい貧乏でした」

真顔で言うのだった。いったい、どういうことなのだろうか。