ワシントンDCのリンカーン像のあるメモリアルパークに「二五万人」が集結したというのは、どんなにすごいことだったことか想像できない。リンカーンは、「人民の、人民による、人民のための政治」といった大統領だ。

彼は、南北戦争の戦時中に「奴隷解放宣言」を出している。しかし、ここワシントンDCでリンカーンは暗殺されてしまう。キング牧師もまた、一九六八年四月四日三九歳にしてメンフィスで暗殺されてしまう。キング牧師が暗殺される二ヶ月前の演説で、彼は死を予感しながらこんなことを言っている。

「道の途中で、私の言葉や歌が誰かを助け、元気づけ、正しい道へと導いたとき、初めて私の生に意義があったと言える。」と。

キング牧師の生家の玄関の階段で腰を下ろし、このことを知ったとき、無性に涙が出てきた。

「死ぬことは恐い。でも、私は自分の信念を曲げてまで生きていくことはできない。」

と言って、亡くなっていったキング牧師。彼を忘れることは、これからもできないだろう。

 

アトランタからバージニア州リッチモンドを経て、再び「ニューヨーク・シティ」に帰ってきた。

「懐かしかった。」

二ヶ月におよぶ、長い夏の「ひとり旅」がついに終わったのだ。「無謀な旅」の終幕だ。いつしかこの地球の「歩き方」のガイドブックは、いろいろなパンフレットやメモ書きが挟まれていて、とても分厚くなっていた。数え切れないほどの思い出がたくさん詰まっている貴重なガイドブックとなった。

「この本がなかったら、一体どうなっていただろう?」

とつくづく思う。今では、色あせ、紙の質も変わってきているが、とても大切に保管している。

 

こうして、この街「ニューヨーク・シティ」で、次の学校の滞在先の報告を待った。東京のIIPの事務局が次の手配をしてくれるのだった。

とある本屋で、アメリカの歴史の本を見つけた。

その中には、「公民権運動」について書かれてあった。そのページをしばらく読んだ。レジの店員さんは、若い黒人さんだった。それを買おうと決めて、代金を払うとき、その黒人さんは、にこっと笑ってくれた。

「この本を読んで、俺たちのことをしっかりと勉強してくれよ。」

という、聞こえない声を聞いたような気がした。一週間ほどして、東京から報告が来た。次の滞在先は、ニューハンプシャー州ペナコックにある小学校ということだった。

 

【前回の記事を読む】「俺たちは黒人なんだ。どうしたって、それは変えられないんだ。」