あなたがいたから

脳腫瘍になって

手術後の彼は大分元気を取り戻し、放射線治療、抗がん剤治療、リハビリと積極的に頑張っていた。毎日毎日見舞いに行く私を、エレベーターの所まで送ってくれる程、日々回復していった。「帰り気を付けてね」と私の心配ばかりで、自分の事だけを考えれば良いのに、彼のささやかな心遣いに、「この様な日がいつまで続くのだろうか」と思いながら、「又明日ね」と言い、家路につく毎日であった。

彼の頭の傷痕は大分残り、元の様には言葉が出ては来ないまでも、「何とかこれで助かった」とこの時はそう思っていた。「病院のご飯は美味しくないし、足りない」と言うので、差し入れをいつも持っていく程になった。又入院中の週末は、家に帰って来られるまで回復し、二か月半の入院生活を終えて退院する事ができた。

脳外科の病棟には色々な方がいた。まだ小さい子供がいる方もいて、父親が病気で働けなくなり、これから治療費もかかるだろうから大変だろうなと思うと、我が家は子供達が結婚していて働いているから、少しはましなのだろうなと思ったものだ。

病室を訪れる度に、快方に向かって元気になってきたせいで、ナースステーションから次第に遠い病室になる。時々部屋が変わっている事で、「良くなっているのだなー」と思った。入院中も毎日の様に病院の庭を散歩しているらしく、私が面会に行くと、「外に散歩に行こう」と言って庭をゆっくりではあるが一緒によく散歩をしたものである。

彼は頭に傷跡は残り、放射線治療で髪の毛が多少薄くはなったが、目立つ程禿げなかったのがラッキーであった。