退院後の彼は、毎日散歩をし、好きだったパソコンも、何とかやる事もできた。又仕事もセーブさせてもらいながら、少しは会社へも行く事もできた。しかし仕事は体力が付いて行けず、結局は数回行っただけで行く事ができなくなった。
又大好きで毎日の様にやっていたパソコンも、打つ事ができても時々色々な事を忘れる様になった。「これはどうするのだった?」が増えた。メールアドレスがまず分からなくなり、文字入力が分からなくなり、しだいに操作方法さえ分からなくなり、だんだんとパソコンの前から彼の姿は消えた。「これはどうするのだった?」と聞く事も無くなった。あんなに好きで毎日の様にやっていたパソコンが、できない。本人が一番ショックだったに違いない。
病院でのリハビリ中は、ヒアリングをやり、文字を書く練習を主にやっていた。しかし内容を見ると、ひらがなの「あ」から始まる五十音だったり、カタカナだったり、アルファベットだったりで、又よく見ると、並べ方も順番通りにはできていない。文章を書くまでは、なかなかいかないのが現状だった。
優秀で、数字に強く何でもできた彼が、ここまでしかできない。その様な彼の様子を見て、少しびっくりした。当時は脳の手術をしているのだからしかたないかもと思う様に、気持ちを切り替える事しかできなかった。彼は退院当初、毎日の日誌も何とかパソコンで打ってはいたものの、だんだんとやる事もなくなり、しまいには私が彼の日誌の入力をやる事になった。
又好きだったテレビも見なくなり、新聞も読まなくなった。以前ある本で読んだ事があったのだが、【死に】向かっている人は、世の中で起こっている事に興味を示さなくなり、テレビも新聞も見なくなり、読まなくなると書いていたのを思い出した。
又、【死】に向かっている人にとって、世の中の出来事は感心が無いし、必要が無いからであり、これは当然な事であると。まさにその頃の彼は、その通りだった。彼も【死】に向かっている人なのだろうかと、その時は思ったものだ。
彼の入院中、私は免疫療法、遺伝子治療、NK細胞療法、NKT細胞標的療法、又最近注目されているニボルマブを使った治療と、あちこちのセミナーがあれば遠くでも聞きに行き、又大学病院、有名な先生がいれば紹介状を担当医の先生からもらい、カウンセリングに行った。サイバーナイフ治療、ガンマナイフ治療、重粒子線、陽子線、中性子線とか、脳腫瘍に関する本があれば次から次と読んでいた。
素人の私にはその治療法が効くのかも分からず、保険が使えるものもあれば使えないものもある。癌とか腫瘍で入院費がかかり、治療費もかかる人にとって、免疫療法はすべて自由診療、かかる治療費は半端ではない。最初に検査から始まる為かなりの費用がかかるし、その後も治療費は続くのである。
それで癌や腫瘍が消えて無くなれば、安いと思う人もいるかもしれないが、何処にもその様なな保証はない。いくら大切な人が病気になったとしても、お金が無い事には始まらない。そんなお金をどうして工面できるものかと思った。お金持ちでなければ治療を受けられない世の中なのかと。
これではお金が無い人はもちろん、普通の生活をしている人であっても無理である。まだいつ再発するかも分からないし、まだまだいつまで治療費がかかるかも分からないと言うのに、誰でも希望すれば保険治療で、選択して受けられる免疫療法になってほしい、そう思った。