「この老婆、何者!」

「そもそも天罰とは何だ」

「そんな簡単なことも分からぬか、天の神が世の間違えを糾すために、行う罰ではないか」

「其方、天の神の言葉を聞いたことがあるのか? 会ったことがあるのか……」

「……………」

「ないであろう」

「この世は天の神がお創りになられた! 神が怒れば嵐となり、飢饉になるではないか」

「天の神などおらぬ! 臆病者の虚言が創り出した妄想じゃ」

「馬鹿な、天の神のお導きによりわれらは生きているのだ」

「貢ぎ物を供え、意味もなく天を祈り続ければ、天の神は鎮まり、世は平穏になるか? ならぬであろう……」

「それは祈りが足りないからではないか!」

「人の命など生まれた時に定められておる。祈っても足掻(あが)いても無駄なこと、寿命は変えられぬ」

「天の神を冒瀆(ぼうとく)するのか」

「まぁよい…………其方はなかなかしぶとい星の下に生まれているようだからな」

老婆は射竦(いすく)めるように李徳裕を見た後、唇を歪めてにやりと笑った。

「しぶといとはどういうことだ!」

「倒れても、倒れても起き上がり息を吹き返すということじゃ。早い話が長安から追い出されてもまた長安に戻って来る。しかもそれが一度や二度ではなく、繰り返されるのだ」

「訳の分からぬことを言うな」

「そんなに苛立たなくともよい、其方は強い運気の下にある。確実に出世する」

老婆の言葉の意味する現実が、自身でも見え隠れするだけに李徳裕の胸中は複雑だった。そんな李徳裕の変化を楽しむように、長く爪が伸び枯れ枝のように干涸びた細い指で、老婆は前に置かれた丸く透き通る水晶の玉を見るよう、李徳裕に合図した。

「何か見えるのか?」

腰を屈めた李徳裕は、顔を近づけて玉を透かし見た。

「其方の未来が見えるであろう」

「馬鹿な! 儂の顔が歪んで映るだけ、何も見えぬわ」

「其方の根性が曲がっているからだ」

老婆は軽く舌打ちをして、丸い玉を少し動かした。すると不思議、玉の中に群れる羊の走る姿が映し出される。息を飲んで玉の中で動く羊に見入る李徳裕に

「羊の群れが見えるであろう」

と、老婆から声が掛かった。玉から目を離すこともできずに、李徳裕は小さく頷いた。

「その羊は、其方が生涯で食べる羊達じゃ!」

「………………」

強ばる李徳裕の顔から血の気が引き、水晶玉からは目を離すことができない。時が経ち羊が走り去った後も、瞳孔が固まり水晶玉を覗き込んでいると、玉の向こうの老婆と目が合い、感覚は靄に包まれるように薄れていく。

【前回の記事を読む】「明晰さには感服いたします」若君が瓶を見分けられたワケ