依頼人
京都在住の若い駆け出しの弁護士、掛川邦彦が大学時代のゼミの同級生だった神林正次から手紙を受け取ったのは鶴前の放火事件から一年半経った一九五三年春のことだった。
掛川は地方の新聞に小さく出ていたという火事のニュースを、事件後二週間ほど経ってから大学のゼミ仲間から知らされるまで気付かなかった。神林の家が火事で全焼したという知らせは彼にも衝撃的ニュースだった。彼とゼミの仲間は神林の家を知っていたばかりか、その家に寝泊まりしたこともあった。その正次の家が焼けたというのだ。しかもその事件のせいで正次は厄介な事態に巻き込まれているという。
正次は焼け死んだ父親と不仲で、亡くなる前の一年間、口もきかない仲になっていたという。不仲の原因は分からない。正次は父親と諍いをしてから実家に寄り付いていなかった。しかし火事の当日彼は鶴前に戻り、火事場に立ち尽くしているところを複数の人間に見られていた。
彼は目下放火殺人の罪で告訴され拘留中である。手紙の中で彼は自分は父親殺しの嫌疑で逮捕拘留され、起訴されているが、全く事実無根で無実だと訴えていた。拘置所の検印の押されたその手紙は次のようなものだった。
前略
――突然の手紙で君は驚くだろう。僕は今拘置所にいて尊属殺人及び放火で告訴されています。僕は父を殺していないし、家に火もつけていない。全部でっち上げの濡れ衣です。だが僕の周りには一人として僕の言い分を聞こうとする人がいません。“父親殺し”のレッテルを貼り付けられたというだけで皆から見捨てられてしまった。それでも僕が自殺しないのは父を殺し、家に火をつけた犯人を知りたいからだけです。僕は絶望の淵にいます。
もし君が僕を助けないと言うのなら、最早僕には希望はありません。君がもし法の味方であり、正義を重んじるならば、どうか僕を助け、犯人を見つけて欲しい。お願いします。
神林正次
掛川邦彦殿