【前回の記事を読む】「木更津」の名に託された意味とは?猿田彦神が伊勢に来るまでの経路

第一章 神々は伊勢を目指す

3.猿田彦神が伊勢に来るまでの経路

さて菅島を調べると、既に金先生の紀行文があったので、それを引用する。津市在住の知人から先生へ、誘いの電話があった際のやりとりである。

この七月十日は志摩の(すが)(じま)にある(しら)(ひげ)神社の祭だそうだが行ってみるか、というのだった。はそこに白髭神社があることも知らなければ、もちろんその祭のことも知らなかった。

「へえ、そんなところにも白髭神社があったんですか」

「あったんですね。しかもその祭というのは、海女(あま)さんたちが競争で(あわび)をとって神前に供

えるという、たいへんおもしろいものだそうです」

(『日本の中の朝鮮文化』)

ここからも分かるように、菅島には白髭神社があり、海女さんたちの守り神(豊漁と安全)が白髭大明神なのである。つまり白髭=猿田彦は、安曇族の海人たちが深く信仰する神であった。

この祭は「しろんご祭」というから、次のような音韻変化によっていると思われる。

  比良  → 白(鬚) → 白+来       (→ 伊良湖)

  HIRA→ SIRA → SIRO(N)GO (→ IRAGO)

伊勢湾入口にある菅島の「しろんご」から渥美半島伊良湖岬の「いらご」までは、音韻的にも地理的にも、あと一跳びである。そして伊良湖岬から渥美湾に回り込むと、そこにはユダヤ系地名と思われる宇津(うつ)()海岸(UTU ― E=ユダヤの入り江)を見ることができる。

菅島の次の神島の方には八代神社があって、こちらの祭神も白髭明神である。予想通り、白髭神が鎮座する島々であった。