5.古風土記の逸文国造本紀と逸文の比較外宮禰宜家の度会氏は、家祖が天日別命であるが、古くは「磯部氏」であった。先の神社誌では、『続日本紀』和銅四年(711)三月条の記事を載せているが、磯部(石部)氏が神宮関係の史料に出てくることを詳細に述べているので、それを引用する。“三月六日 伊勢の人、磯部祖父(いそべのおおじ)・高志(こし)の二人に渡相神主(わたらいのかんぬし)の姓(かばね)を賜わった。上野…
[連載]「神武東征」とその後の渡来人たち
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エッセイ『「神武東征」とその後の渡来人たち』【最終回】石川 雅晟
外宮禰宜家の度会氏は、家祖が天日別命であるが、古くは「磯部氏」であった。
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エッセイ『「神武東征」とその後の渡来人たち』【第7回】石川 雅晟
「珍彦は椎根津彦であり、倭直部の始祖(倭国造の祖)なのである」
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エッセイ『「神武東征」とその後の渡来人たち』【第6回】石川 雅晟
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エッセイ『「神武東征」とその後の渡来人たち』【第5回】石川 雅晟
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エッセイ『「神武東征」とその後の渡来人たち』【第4回】石川 雅晟
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エッセイ『「神武東征」とその後の渡来人たち』【第3回】石川 雅晟
壬申の乱で政権基盤が脆弱な頃…天武天皇の親政で行われた大方針とは?
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エッセイ『「神武東征」とその後の渡来人たち』【第2回】石川 雅晟
「木更津」の名に託された意味とは?猿田彦神が伊勢に来るまでの経路
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エッセイ『「神武東征」とその後の渡来人たち』【新連載】石川 雅晟
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