「同じ状況でも、考え方で正反対に変わるのが、このことだ。まったく同じ環境、状態に置かれた二人の人間がこのスイッチ次第でまったく異なる環境、状態、結果を生み出していくんだ。どちらが良い、悪い、ではなくてね」
「同じ状況でも、例えばAさんが不幸せと答えて、Bさんが幸せと答えた場合、本当にそうなるってこと?」
「その通りだよ」
「じゃあBさんのほうが良いに決まってるよ」
「本質の話をしてる。良い、悪いはいったん置いておくんだ。じゃあ聞くけど、この二つの考え方、どちらが正しいかな?」
「どっちが正しいって言われても……良い、悪いじゃないんでしょ。じゃあどっちも正しいとか間違ってるとかの話でもないってこと?」
「質問を質問で返すんじゃない。答えは、どちらも正しいってことだ。その人が言っていることがどうであれ、それが、その人にとっての“現実”だからだ」
変人ポーの言いたいことがわかってきた気がしたが、完璧に理解したかったのでいつもの例え話をお願いしてみた。
「そうだな、じゃあ駅前に評判のラーメン屋さんがあるとする。Aさんはその駅前ラーメンが美味しいってBさんより聞いて行ってみたけどまずかったという。この場合、Aさんにはそのラーメンはたしかにまずくて、Bさんにとってはそのラーメンはたしかに美味しかった。このように、まったく同じラーメンでも、正反対に異なる現実が生じることがある。そして、これはどちらも正しい」
「本当だ! どちらも正しいし、良い悪いじゃない!」
「いいぞ。こんなんでも良いな。Aさんは豪邸に住んでいて、高級車を10台ほど所有している。1シーズン1回は海外旅行にも行くし、私は幸せだ、と言うAさんがいる。
一方、サラリーマンのBさんは毎日満員電車に1時間ほど揺られ東京に行き、また1時間ほど満員電車に揺られて家に帰る。そこには自分が本当に愛した妻がいて、かわいい子どもがいて、家庭がある。それが、Bさんの子どもの頃からの夢だった。その夢が叶った私は幸せだ、と言うBさんがいる。
このようにその人の環境がまったく違っていても、二人ともたしかに幸せなのである。つまり、その状況や環境が人の幸せを決めることはない。ましてや人が他人の幸せを決めることでもない。幸せとは、あくまでもその人自身が感じるもので、気がついたらそこにあるもの、もっとはっきり言うとその人の思考から来ているものなんだ」
「本当だ。豪邸に住んでいてしょっちゅう海外旅行に行けるAさんのほうが一般的には幸せだと思われそうなものだけど、考えてみればそんなの他人にはわからないよね。有名人でも離婚してるのを見ると、有名になってお金もあってチヤホヤされて幸せそうに見えるけど結局は幸せじゃなかったんだとも思えるし、そもそも幸せのカタチは人それぞれだもんね」
「そうだな。要は、やはり自分がどう感じ、どう思考するかだ。もう一度言うがこの場合でも、どちらも幸せであるということはたしかなんだ。その人が言っているからね。これも、どちらが良い悪いというわけではなくて、それでいてどちらも正しい。それは、本人がそう言っているから。つまり、当の本人が、そう思っているからなんだよ」