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長い歴史、長い庶民史のなかで、人生に付きものの悲しいことを、そして耐えられないことを、人はどうやり過ごしてきたのか?こんな安っぽい問いは嫌なのだが、この招かざる訪問者は、姿を変えて生涯に亘り来訪を続ける。しかも、誰もが来訪を受けるありきたりであるのが厄介である。

つらいことは忘却の彼方に、と他人(ひと)は言うが忘れられるものではない、また時間だけが解決してくれるものでもなさそうである。自分のなかで何かに変えるか、外に移すか、しか方法はない。思い出すとき、脳が反応しない術を身につけるしかなさそうだ。

何とか形や印象を小さなものにして、白く風化させるだけは風化させ、思い出の城に閉じ込める。白く小さなイメージになったとき、それは、反応をしなくなる……。ズバリ、「散らす」ための三つの技を身につけようではないか。哲学と文学と旅の三技である。

哲学とやらで自問自答して一応の理屈付けをし、文学とやらで慰め、旅で癒す、のプロセスを踏めば、大抵は何とかなる。私がやってきた“素人療法”である。悲しい経験をした分だけ人は優しくなれる、というキレイな言葉が流通している。あなたが普通の庶民なら、世の中そんなキレイごとではなく真逆の行為もいっぱいであることを知っている。

つらく悲しいことがあったからといって、他人に優しくする必要はない。あなたなら、正解は、悲しみは騒がずそっとしておく、ことだと気付いているはずである。

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かつて、「家族帝国主義」という言葉があった。死語である。家庭を持てば、家庭というあり方に深く浸透してしまっている帝国主義が、国家・社会に従順たれという「論理と倫理」を家庭と家族に強制し、志に変更や挫折を強いるというものである。学生運動家を中心とする用語であり、革命を目指す者は家族を持ってはならないとする際の、彼らなりの論理と根拠であったものである。

教育が、国家、社会、家庭と地続きとなっており、がんじがらめの日本ならではの論理であり、日本ならではの用語だったと言えそうである。死語ゆえに、今後再び語られることはないであろう。鴻こうこく鵠の志というものがあるとすれば、温かい家族とは相いれない、孤独と孤絶に耐えろという戒めであると私は受け止めた。

私は、庶民として、家族帝国主義に粛粛(しゅくしゅく)と塗まみれて生きてきた。

【前回の記事を読む】「少数派と悩む諸君、こんな偏屈人生も思えば結構楽しいではないか!」