「これは五万円です。どうですか。ぜひ出してみてはいかがですか」
店長は晴美のすっかり春の装いのライトグリーンのスーツ姿を気に入ったようだ。具体的に広告の中味を訊かれたのでいけると、ますます晴美は思った。あとはひと押しだ。
「ぜひ、お願いします」
押しとはいえ、強引にはできない。あくまで謙虚さが必要だ。晴美は体を折り曲げて、深く頭を下げた。
「そうだね。一度出してみるか」
店長の顔に笑みがこぼれた。
「ありがとうございます」
こんなに嬉しいことはない。これで私の首がつながる。晴美は衝動的に、鉢に植えられているパンジーを買った。そして、パンジーに心の中で話し掛けた。
〈ほら、私は見事に咲きましたよ〉
晴美は軽やかに鼻歌を口遊みながら自転車を漕いだ。一刻も早く中川営業部長に報告したいからだ。が、こんなときの時間の歩みは緩やかだ。早く、早く、と焦るほど前へ進むのがのろい。膝に力を入れて漕いでいるのに、歯がゆい。二十分もかかって、やっと職場に着いた。
「ただいま、帰ってきました」
中川営業部長は昼にもなっていないのに、晴美の弾んだ声に「おや」というふうに驚いた顔つきをした――。
中川営業部長は、
「やったね。広告を取ることは人間的な魅力が必要なんだよ。ご苦労さま」
と言った。魅力――。会ったその瞬間から人を引きつけることが必要なのか――。なるほど、と分かるような気がした。
三十五歳ぐらいの頭の切れそうな男性営業パートさんは、雇われたその日から次から次へと広告を取ってきた。それを目の当たりに見て、晴美は「営業の天才だ」と思った。が、彼はごまかしをしていたのだ。広告料を極端に低くしていた。つまリダンピングをしていたのだ。それが会社にばれて、即刻馘首になった。
晴美は思った。彼の気持ちはよく分かる。ダンピングはとてもいけないことだが、一ヵ月の間に小さい広告でも取らないと馘首になるのだ。自分の首をつないでおくため、無我夢中になるのも当然のことだ。