誕生の秘密を知る

さて、そろそろ私の生まれにまつわる話をしようと思う。何やら、自分の誕生には秘密があるのではないかと感じはじめたのは、小学五年生頃からであろうか。

母の実家近くに越してきたのだが、近所の人たちは何か私の知らぬことを知っているように感じられた。なぜそのように感じたか、これという理由はなかったのだが、なんとなく違和感を持つようになったのだ。でもそれを確かめることは、これまでの自分を否定することのようで、怖くてできなかったのだった。

しかし中学一年生のときの、忘れられない記憶がある。

ふだんはそれほど付き合いのない近所の一学年上の女子生徒と、何かの拍子に口喧嘩となった。カッとなった彼女から、「もらいっ子」という言葉を投げつけられたのだ。

私の心の中に、何やらつかみきれない不安があったのだろう。その言葉を聞いた私も頭に血が上り、その女の子を叩いた。そして泣きながら家へと戻った。家には母がいた。思わず私は母に問いかけた。

「ぼくはもらいっ子なの?」

すると母は、それまで見たこともないような怖い形相をして、「誰が言ったのか」と問うた。私が黙っていると、「違う。うちの子だ」ときっぱりと言った。だが母の動揺する表情に、自分の心の中では「やはり……」という思いが広がっていったのだ。

中学二年生になると、父の病状はさらに悪化していった。お金がないから病院にも行けず、父はほとんど家で寝たきりの状態になっていた。家は相変わらず貧しかった。あるとき母が言った。

「おばさんちの子になるか?」

おばさんとは母の三人姉妹の一番下の妹のことだった。実家の近くにあった嫁ぎ先は雑貨店と養鶏場を営んでおり、我が家とはまったく違い、裕福な暮らしをしていた。私が台湾から戻ってきたときに、大泣きをしながら抱きしめてくれた人だ。その後も会うと、たくさんお菓子をくれたり、お小遣いをくれることもあった。その親密感は、おばが甥っ子をかわいがるという以上の思いがあるように、子ども心にも感じていた。

「おばさんのうちの子になれば、高校だけでなく、大学までも行かせてもらえるかもしれん。うちの子でいるよりも、あんたにとっては幸せに違いなか」

母は重ねて言ったが、その言葉に私は反発した。

「大学なんか行かんでよか。病気の父さんの代わりにぼくが働いて、母さんや妹たちの面倒を見るけん」

そう言うと母は黙ってしまった。それからその話には一切触れることがなくなった。