そんな郁子には、六つ年上の姉がいた。
郁子の姉の亜希子は、看護師をしていた。キビキビと物事を判断し次の瞬間には行動に移しているような、郁子とは対照的な人だった。亜希子は春彦の高校時代の一個上の先輩で、生徒会長も務め東大も狙えると惜しむ教師たちを尻目に、特別な奨学金をもらって看護大学へと進んだ。
証券マンとして三年目を迎えた年に、春彦は取引先とのトラブルが続きストレスから胃を悪くした。どうにも胃痛が治まらず仕舞には下血までする有様の春彦が、慌てて駆け込んだ総合病院の消化器内科にまさかの亜希子が勤めていた。春彦にとって、これは千載一遇のチャンスと言えた。
それは春彦の高校時代が、亜希子一色だったからだ。才色兼備の亜希子に近づける男子生徒はそういるものでもなく、春彦も例外ではなかった。
春彦は学年も一個下で余り目立たない存在ときたものだから、それも仕方のないことと言えた。片や亜希子は運動神経も良く勉強もでき、その人柄を買われて他薦で生徒会長も務めたほどだった。
しかし、春彦ははなから諦めていた訳ではなかった。せめて亜希子に追いつきたいその一心で、何を思ったのか部活やその仲間との付き合いの全てを止めてしまったのだった。あんなに打ち込んでいた部活の仲間からは当然遺留の声もあったし、一緒にバカ騒ぎをしていた友人からの批難の声もあった。けれども春彦の意思は固かった。
両親が営む新聞販売所の朝刊配達だけは大学を出してもらう約束で続けたが、春彦はその後の一年余りを寝る間も惜しんで猛勉強し、志望校を目指した。ところが、次第に学ぶことの面白さにのめり込むようになった春彦の変化は、面白いものだった。結局、学ぶことと亜希子のことは別物だったということだろう。
見事、志望校W大学政治経済学部への合格を勝ち取った春彦は、やがて迎えた就活解禁の頃には、希望の大手証券会社の他にも数社の内定をもらっていた。春彦は大学生活の間に、付き合った彼女もいた。就職してからは、うちの娘にという有難い話もあるほどだった。しかし、ふと思い返してみるとこの高校時代の亜希子ほどに、春彦に影響を与えることのできる女性との出会いはなかった。