ところが当世、核兵器搭載の大陸間弾道弾や原子力潜水艦が出現したことで、太平洋と大西洋の大きな堀を一度に埋められてしまった。米国出身の海軍軍人A・T・マハンの著した「海上権力史論」(海を支配する国が世界を制す:詳細は後述)が世に知れわたったことによって、逆に脅威を呼び込む結果となったのである。

そこで初めて古代欧州公国や中国が「匈奴(きょうど):タタール」などから受けた脅威感覚を共有できたといえる。その後はロシアを脅威対象国とする冷戦のにらみ合いが続けられることになる。漸くにして冷戦が終結したところ、その脅威感覚がもとに戻ってしまって、ロシアや中国への対応が甘くなってしまう。その結果鳴りを潜めていた彼らが匈奴化して今日の世界情勢となっている。米国の脇の甘さは北朝鮮の横暴さえも許してしまうほどである。

民主党系は小さな政府を目指して、モンロー主義化(日本の江戸時代化)して内に引きこもる傾向にあった。一方共和党系は大きな政府を指向して、海外に進出して経済帝国を目指す傾向にあった。ただし、この性格の違う二つの政党制によって中庸(バランス)が図られて、ロシアや中国のように理不尽な行動に走る危険性は抑えられているといえる。

ただし留意すべきは、米国は歴史的に中国を軍事大国としてではなく、巨大な市場として見る傾向をもっていることであろう。なぜなら米国が国家として初めて交易した時の清帝国(満洲人に支配された中国)は、既に欧州列強の侵略や侵蝕にあっていて崩壊寸前の状態であったからである。

その状態はとても国家とはいえず、ただ数億の民がひしめく広大な消費市場であった。この記憶が米国の為政者や知識層に受け継がれ、共和・民主両党共通の商人魂と結びついて、中国に対しては関与政策や宥和政策をとりやすいといえる。

ロシアに対してさえも、プーチン大統領への個人的な感情や核搭載の大陸間弾道弾や原子力潜水艦の脅威さえ低減すれば、程なく宥和的になると思われる。

一方日本に対しては、武力をもって米国に向かってくる能力はないとみているようだが、東アジア諸国にとっては脅威であると考えている(ボトルネック説)。ただし、太平洋戦争時の帝国陸海軍から受けたトラウマは、まだ完全には無くなっていないようだ。

国防意識が希薄で平和主義一辺倒の日本国民にとって、現在の平和憲法下の日本が東アジアなど他国の脅威になっているなどと理解するのは難しいだろう。

無償の平和に慣れるということは、平和そのものを否定していることにもなっているのである。現在、自由民主主義が抱えている問題と同じように。

米国と日本の他国に対する感情は共通する点が多い。それはおうおうにして対応が甘くなって、他国を脅威として感じにくいということである。その理由は両国の地政学的な環境(海を隔てた島国)に起因するであろう。