ここでもう少しおもしろい出来事を呈示したい。

私が京都太泰の木嶋神社へ行った時である。太秦の秦は蚕の意味である。近所に蚕ノ社という駅もある。神社の表札には紀元後ネストリウス派のキリスト教徒が来たとの表示。宮のある左にはバプテストという禊の池もある。

驚くことは三角形の鳥居もあり、当時のキリスト教がもう日本に入っているようだ。 三角形は音楽の三拍子にも繋がり、三位一体の精神があるのだと思われる。

吟遊詩人たちも笛を吹きながらシルクロードを歩み、日本には神社で聞かれる箏の笛を伝えた。

またイスラエルのダビデ紋は日本の天皇家と同じ菊の印であることや日本各地にキリストの墓、ダビデの墓があること、また先ほどの伊勢神宮には内宮から下宮に繋がる道に両側にイスラエルの国旗と同じ六芒星の灯籠があったこと等非常におもしろい事実である。

世界史、日本史はいずれも勝者によって書かれ、本来の事実が捏造されたこともありそうだ。消えた敗者の歴史を知ってみたいものだ。まったく違う歴史の事実や考え方の相違もあるだろう。

当初にもどるが日本の敦賀港に到着したユダヤ難民はいかに嬉しかったことだろう。彼らは一ヶ月以上滞在し、住み心地のいい敦賀の行事を楽しんだ。祭り、刺身、風呂など日本伝統の出来事を心から喜んだと思う。

私が杉原千畝記念館に行ったとき、敦賀の写真があり、天国だったと解説があった。日本人の優しさが十分に伝わってくる事実だ。

彼らの子孫は世界各国に飛び、オーストラリア、アメリカ、カナダ等へ出発したとある。その救済難民は今日ではその数倍に膨れ上がり、日本賞賛となった。彼らは愛を感じ、去っていった。