今から十八年前──。貧困層と富裕層の落差が激しい台湾で、宮城夫妻は貧困層が密集する地区の診療所に夫婦で勤めていた。ほぼただ同然の診察料でありながら、親身に患者を看る姿は、地区の住民にとっては、「神様」のような存在だった。

そこに、貧困家庭の少女、当時十四、五歳の妊婦が母親と診察に来た。少女は、義父の虐待によって、望まれぬ妊娠をしてしまった。少女の母親は、中絶を望んだ。しかし、少女は、「産みたい」と、宮城夫妻に懇願した。そこで、宮城夫妻は、産む条件として、児童養護施設で保護してもらうことと、生まれてきた子が二十歳になるまでは、宮城夫妻の子として育てることを彼女に約束させた。

宮城夫妻は、生まれてくる子どもが大人になるまでに、彼女が貧困のスパイラルから抜け出し、独り立ちすることを願っていたのだ。

毎年六月になると、その少女からの手紙が届いた。六月は、和人の誕生日がある。少女の手紙の最後には、決まって「もうすぐ迎えに行くからね」と、我が子を心の底から思う母親の気持ちが書き込まれていた。しかし、今年六月の手紙の最後には、

「病気が悪化して、そう長くは生きられない。息子に一目でも会いたい」と、書かれていた。

彼女は、三年前から子宮頸がんを患っていた。ステージ4にまで進行していたのは、働き詰めの毎日を過ごし、定期健康診断すら受診していなかったからだ。彼女は、がん細胞の転移を防ぐために、放射線と抗がん剤治療を受けていた。

しかし、がん細胞は、非情にも彼女の体を蝕み続け、骨にまで転移した。そんな中でも、「一目、息子に会いたい」という彼女の想いに、宮城夫妻は和人に本当のことを告白する決断をした。

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