下町のメインロードをゆっくりと歩き始める。中山道の家並みがゆったりと通り過ぎていく。あたかも時代劇を見るかのようで、折も折り、管笠と脇差を差した侍姿の男性と町人姿の女性が観光客に愛想を振舞っていた。観光協会の人たちであろうか。このような姿で古えの人達はこの宿場町を行き交い、通過していったのだろう。
民宿Sを通り過ぎた。今日私が宿泊する宿である。ただまだ時間が早いので荷を降ろし、身軽になる必要があるが、荷物を背中に旅人を味わいながら歩くこととした。
右にはジャアジャアと溢れる水場があった。現代の手を加えてあるとはいえ、往年の風情を存分に醸し出していた。土産物屋を左折する。奈良井川の流れる音がする。落ち着いた風景である。レトロ調の「木曽の大橋」、水と戯れる幼子を連れた家族、赤い橋、透明な水。薄青い空、秋の弱々しい木漏れ日、元気のない緑の草が丸く調和し、絵画的な幻想が漂っていた。
悠久の川の流れに背筋伸び
道に無き道を尋ねて幾年ぞ
春は過ぎ行き夏は過ぎ行く
音に聞く木曽の大橋見えたり
過ぎたるものは我が身この道
秋風やまいまいてふのかそけきよ
音優し過ぎ越し夏の川音かな
また本道に戻った。左手に杉の森酒造がある。大きな杉玉が伝統の風格を醸し、堂々とした威厳を示していた。
美しい水を背景にこの地区きっての酒屋としてその名を馳せているのであった。その先右手に大宝寺があった。ここには『マリア地蔵』という隠れキリシタンの方々の信仰の拠り所となった地蔵様があった。哀れにも首がない。胸には十字架がある。但しこれが必ずしも隠れキリシタンの証ではないそうだが、いかにもそう見えるのはひいきだろうか。
全国各地にいたと言われるキリシタン達はこのように密かに隠れ住み、密かな信仰を繋げてきた。記録を残さないで言葉だけで伝えてきた彼ら達。そして彼らの叫び、残した偶像、それを思うと胸が熱くならざるを得なかった。同時に当時の人々の強い信心が浮かび、時代の残虐性に絶望を感じたのであった。
我もまた木曽のマリアにひざまずき
宗教の信心が過度となり、他宗教を非難するようになると、歴史では殺戮がおこった。
仏教界では南都北嶺のいがみ合い、キリスト教対イスラム教、イスラム教対ユダヤ教。カトリック対プロテスタント等の争いが頻発してきた。
日本人の宗教受入感は過去はともかく今では平和を目指す上にはちょうどいいのかもしれない。勿論信心深い方には叱られるかもしれないが、結局は宗教と政治が結びついた時、政治対決となって姿を変えていくのかもしれない。権力闘争は数千年の昔から世界中で興っている。人を救うはずの宗教からすると悲しいことだ。
さすがに疲れ、先ほどの宿に戻ることにした。また明日、帰り旅が始まる。日も傾いてきた。夕闇迫る雲が西に赤く染まる。
天候にも恵まれ、良い一日を送ることが出来て感謝の限りだ。明日もよき一日であれ、と祈った。