小笠原悠子は今日もその場所に来ていた。少し大きめのセカンドバッグに例のものが入れてある。小さな缶の中身はウイスキーのソーダ割りである。そしてハーシーのチョコレートが三粒、つまみとして入れている。小さな缶は三缶と決めている。
ほろ酔いで過ごすのがちょうどよいと感じているからだ。そして一杯目を飲むと、決まって恩師森村教授を思い出す。
悠子が大学生になり二十歳になった時のことである。もう一人のゼミの学生と一緒に森村教授から招待を受けた。奈良市内でも格式の高い料理屋であった。立派な玄関に入るとすこぶる上品な着物姿の女性が現れ座敷まで案内していただいた。
落ち着きと品格のある座敷であった。場違いな自分たちがとまどっているところへ教授が姿を見せた。にこやかに席につきながら話をされた。
「二十歳の成人おめでとう。これで安心して一緒に酒が飲める」。急にそう言われても緊張感で場になじめない二人であった。お金のことも当然のこと気にかかっていた。とまどっている二人に森村教授はやさしく言った。
「そう堅くならなくてもよい。ここの女将も私の教え子だ。料金も格安にしてもらっている」。いつのまにか教授のそばに女将らしい人が現れた。そしてやさしく声をかけてくれた。
「先生は時折気に入った学生さんを連れておみえになりますよ。どうぞ気楽に召し上がってくださいまし」。女将が先輩であったことから肩の力がとれ、少し酒を口に入れてみた。酒の甘みと料理との相性の、ほどよさは教授に教えられた。
女将の進め上手もあって悠子はそこそこ飲む羽目になっていた。
森村教授は野外ゼミとして高級料亭で学生をもてなしていた。
出費はかさんだが実践教育としてこの方法が一番と信じていた。
奥の深い日本の文化は知識よりも肌で感じることが大切であると思っていたからだ。料亭料理こそ日本文化を総合的によく表しているとの概念は誰よりも私が知っていると自負する森村教授だった。
教授は奈良大学文学部日本史科総合文化コースを担当している。日本文化総合史の分野では第一人者と言われている。