【前回の記事を読む】地球に生命が誕生した40億年前…当初の生物には脳がなかった!?
一 大自然
2 大自然の営み
(4)人類に委ねられた「精神的いのち」の進化
① 進化の現状
精神的いのちを授かった200万年前のその時点で、幸か不幸か精神的いのちの進化に関しては、大自然のナチュラルな営みによって設えられていた合目的性(自ずからにして在るべき方向に進化していく先天的資質)の箍が外されてしまったようです。
つまりこの時点で大自然は、人間の「精神的いのちの進化」をどう方向付けていくかという重要課題を、人間自身の力量に委ねてしまったということです。人間の未来は人間自身の力量で模索していきなさいということになったのです。ここが、合目的性の枠組みの中で生かされるままに生きてゆく野の生きものたちと人間の違いです。
自らの力量で進化の方途を模索していくべく仕向けられた200万年前以来、人類の歩んできた歴史を振り返ってみると、人類の刻んできた歴史の奥に潜む精神的いのちの美醜が匂ってきます。人類の歴史は人間の精神的いのちによってこそ彩られていくものであるということがよく分かります。
精神的いのちのありようは、本を正せば大脳新皮質の拓きようです。人間の歴史の進む方途は、どう整えていくかの全責任を大自然から人間自身に委ねられた精神的いのち(大脳新皮質系)の整えようにかかっているのです。
よく言えば、人間は自らの力量次第でどうにでも生きていけるという果てしない可能性としての素養を授かったことになります。逆に言えば、下手に手近な物質至上主義の欲望にとりつかれて先々を見る目を失って暴走したそのとき、人類の自滅は避けられないということが見えています。
人類の存亡に関わるこのような重大事項が、人間自身の責任に委ねられたということは、喜ぶべきことなのか憂慮すべきことなのか。大自然とは真に冷徹な存在のようです。