画家 Jean-Joseph Crotti

ジャン=ジョセフ・クロッティ 1878.4.24 ブル─1958.1.30 ヌイイ=シュル=セーヌ

 

スイスからミュンヘンの装飾美術学校に入学し舞台装飾の見習いをしていたジャン=ジョセフ・クロッティは1900年パリに出てアカデミー・ジュリアンで学びます。

モンマルトルの丘ピエール=フォンテーヌ通りに居を構えた彼は、「野獣派」や「オルフィスム」の影響を受け、さらに1912年から「立体派」的作品を制作します。

彼はマリーとともにアカデミー・アンペールで学んでいたイヴォンヌ・シャステルと出会い結婚し、第一次世界大戦開戦に伴い、妻と自由に創作ができるニューヨークへ渡ります。そこではフランシス・ピカビアと友情を育み、マルセル・デュシャンとアトリエを共有し、彼の肖像を制作します。

1916年夫妻はパリに戻りますが、ジャンはマルセルの妹スザンヌと恋に落ちます。同時にイヴォンヌもマルセルとの関係を始めてしまい、1917年12月29日ジャンとイヴォンヌは離婚し、ジャンはスザンヌと結婚、イヴォンヌもマルセルと同棲を始めます。

1921年6月モンテーニュ画廊でトリスタン・ツァラが主催した「ダダ」の展覧会にも参加しましたがその後彼とは袂を分かちます。

ドイツ人男爵との婚姻で亡命生活をしていたマリーは、1920年3月末にようやくパリへ帰ることができましたが、ここで旧友イヴォンヌと再会します。子供が生まれた親友のニコル・グルーの代わりに、マリーはイヴォンヌと深い愛情関係を結ぶこととなります。