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詩人 René Crevel
ルネ・クルヴェル 1900.8.10 パリ─1935.6.18 パリ
「詩人の画家」と言われたマリーの周りにはいつも詩人たちがいましたが、ルネ・クルヴェルもそうした詩人の一人でした。
敬愛していた父親の原因が分からない自殺がルネに生涯自殺に対する強迫観念を与えます。ルネはパリの名門校ジャンソン=ドゥ=サイイでバカロレアを取得し、ソルボンヌ大学で法律と文学を学びます。
兵役後の1921年、ルネはマリーの信奉者でもあったアンドレ・ブルトンと出会いシュルレアリスム運動に参加、1925年トリスタン・ツァラと合流しダダの運動に傾倒しますが、翌年結核に罹り療養します。1930年、ルネは親友マリーと共著で『ブロンテ姉妹 あるいは風の娘達』を「キャトルシュマン」社から刊行し、マリーは5点の多色刷りリトグラフィーを捧げます。
第1回文化擁護国際作家会議の際、主催者会議の最中、結核の悪化を知ったルネは悲観して、自宅でガス自殺をしてしまいます。この死を悲しんだマリーは、ルネのためにとても感動的な追悼文を発表しました。
「あなたは思いがけない人だった。―アスコットタイの服装さえ―いつも同じ髪型で、笑みを浮かべる不幸そうな青年の顔つき。絶対に不平を言わず。その言葉は早口だった。詩人たちの魂は、私の家に住んでいるのよ。あなたの体にもうお気に入りの服がずっと着せられなくても、私だけがストライプ柄のスカーフと金の王冠をあなたに着せてあげられるわ」(吉澤公寿訳)