第一章 発端

店主は愉快そうに言ってカウンターに戻りました。私は店の窓際に席を取りました。交差点に面しているので町のたたずまいがよく見えます。

「お客さん、土地の人?」

店主がコーヒーの豆を挽きながらストレートに聞いてきました。ここの人たちは思ったことをすぐに口にするのだなと私は思いました。この人もしかり、事務所の田沼さんもしかり。

口から出かかったことをいったん飲み込んだり、言う前に最もふさわしい語彙を探したり、相手を傷つけずわが身も守れる婉曲で含みのある言い方を、自分も周囲の人間もする環境に慣れていた私には、歯に(きぬ)着せぬ率直なものの言い方が東京の下町にでもいるような明るい気分にさせてくれていることに気づきました。

「三週間前に越してきたばかりです」

「やっぱり。どこから? 東京から?」

「ええ、わかりますか」

「わかるわよ、これでもいろんな人を見てきてるから。お客さん、どこか垢あか抜けているもの。華があるしさ」

自分の都会の香りはまだ抜けてはいなかったのだと私は鼻の穴が膨らむ思いでした。一年後に本社に戻った時、加瀬久美子に「田舎臭くなった」と思われたくはなかったのです。

垣根が取れたのか、店主は亡くなったご主人の話やら、喫茶店の名前の《ぱるる》は自分の本名の春子(はるこ)からつけたことなどを話しながら手際よくコーヒーを淹れてくれました。

「はい、ご注文のブラック。ちょっとこの子たちを二階(うえ)に上げてくるわね」

二匹の犬を連れて春子さんが消え、私一人きりとなった店内には香ばしいコーヒーの香りが満ちています。こんな休日は何日ぶりだろう。私は湯気の立つカップに口をつけました。引っ越し以来、片付けで土日も何かと忙しく、ゆっくりコーヒーを味わう暇もありませんでした。資料館へ行くついでとはいえ、この店を見つけたことに私は出会いのようなものまで感じていました。

春子さんにいつか仕事の愚痴やたわいない世間話をする日も来るのではないか。身内でもなく職場の同僚でもない程よい距離のある関係を、さっぱりとして気風(きっぷ)のいい彼女となら築いていける気がしたのです。