その後まもなく出雲から義父が父子家庭の手伝いに来てくれて、男三人の生活になった。
退院してから聞いたことだが義父もたくさん食事を作ってくれたようだが「どれもしょっぱいんだよ」とケンさんはつぶやいた。しかし、子どもや孫のピンチに助けに来てくれて精神的にも大きな支えとなってくれたと思う。お義父さんありがとうございました。
出雲では趣味と言いながら畑をしているが、急な知らせに畑をほっぽり出して来てくれた義父。そして、黙って義父を送り出してくれた義母や義兄にも大変な心配と迷惑をかけたと思う。家族や身内を無条件で助けてくれる親の愛情には感謝しかない。私も同じように子どもたちのヘルプには、どんな時でも何でもしなければと思う。
私の両親にも事前に入院と手術の日程を伝えた。
親からもらった五体満足な身体にメスを入れることが申し訳なかった。「親不孝をしてしまった」と思った。両親もショックだったと思うができる限りの協力をしてくれた。
直太朗の運動会と手術が同日となり、出雲の義父に来てもらうことにした。義父はすぐに来てくれて、退院するまでいてくれた。
運動会の当日に私が手術だったのでケンさんと私の姉は病院。直太朗の運動会にはおじいちゃん(義父)とおばあちゃん(私の母)の三人で参加しお弁当もこの三人で食べたが、何をするにもおばあちゃんにぴったりとくっついて離れなかったと聞いた。
その頃、私は手術中。全身麻酔でいい気持ちとなり眠っていた。
前にも書いたが手術中は「春のように暖かい花畑の中」を一人ほんわか気分でいた。
「お母さん、お母さん」と呼ばれて目を覚ますとまっ先に義父の顔が見えた。
家族の顔も見えた。
あの世から現世に引き戻された。