【前回の記事を読む】ほったらかしていたしこりが悪性腫瘍!? 発覚した原因は「アワビの醤油煮」

第1章 左乳房 ~33歳、乳がんになりました~

ケンさんのコロッケ

私が入院し手術するという現実を3歳になったばかりの直太朗に話した。

「病気だから少しの間だけ病院にお泊まりをするからね」

と簡単な話だけを伝えた。

後日、入院をした初日の父子の晩ご飯の様子を私の母親から聞き驚いた。

ケンさんは汗びっしょりになってコロッケを作っていたという。じゃが芋を茹でて潰し玉ねぎと挽肉を炒めて一緒に混ぜて丸める。粉を薄くまぶし溶き卵とパン粉をつけて揚げる手間のかかる料理だ。

「どうして? そんな大変なことをするの?」

とびっくりした。

自分が逆の立場だったらコロッケは買ってきて食べていたと思う。しかし、これはケンさんの直太朗への愛で、ケンさん自身が母親の愛情たっぷりの手料理を食べて育ったことが分かる。人は親から自分がやってもらったことを無意識のうちに同じように我が子にしている。

義母は料理が上手でコロッケはお手のもの、右手で粉を薄くまぶし溶き卵につけ、左手でパン粉をつける時の手際の良さはまるでコックさんのようで、帰省した時に私も見ている。揚げたてコロッケがずらりと並んでそれをパクパク食べた。もちろん味は絶品。

きっとケンさんは生まれてから母親の美味しい手作りの料理を普通に食べていたのだろう。

私はコロッケといえばお肉屋さんで買うものと思っていた。お肉屋さんが揚げるコロッケを店先でじっと見ていたものだ。今でも中々作ろうとは思わないし、思ったところで途中で挫折しポテトサラダになってしまう。

もう一つ驚いたことがある。それは直太朗へ病気の伝え方である。

私が入院をした夜に母親がいなくて直太朗は不安になり泣いたようだった。

「お前がいなくて『死んじゃうの?』と泣いたから、話をしたよ」

「……うん」

「映画『となりのトトロ』(監督:宮崎駿1988年)の『Mちゃんのお母さんと同じだよ。元気になったら帰ってくるから』って話したから。お前も頑張れよ」

「分かった」

まだ、3歳の子どもにとっては、元気に家にいた母親がある日、急に「病院ベッドの上」という姿を見て、何が起こったか理解できず不安にさせたと思ったら、ぐっと込み上げてきた。

「とっさに思いついたが良い話をしただろ!」と、どや顔のケンさん。

「なるほど上手いこと言うね」

と涙をこらえながらも座布団一枚あげたい気持ちになった。

3歳の直太朗をガッチリと抱きしめてくれてありがとう。