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我々庶民にとって、生き長らえるために必要とされる智恵とは、クソ政治家を信じないこととダメ学者に騙されないことの二つだと思えてならない。これさえ回避できれば、物心両面で大失敗をしないで、それなりの一生をさりげなく半分は満足してすごすことができるように思える。万能の処方箋であるはずもないが、「足し」にはなりそうである。
例えば神道なるものについて庶民目線で言うならば、かつてあったのはド即物的な考えやものの見方だったにもかかわらず、あるとき誰か悪い奴が、ないものをあるが如くもっとらしく言い始めたのがキッカケで、しかも誰かが悪乗りして輪をかけて大袈裟にしたのが、そもそもの始まりではなかったのか。
実は、言説の多くは、結構ゆるくていい加減なものかもしれない。こんな目線でホモサピエンスの全史を見直してみたら、もっと「のんべんだらりん」の通史となり、ありがたがったり信じたりしなくて済むものだらけである、と私には思える。庶民目線で全歴史を定点観測したならば、事態は一変するに違いない。
そこで、私の、言うならば「大陸的すれっからし庶民史観」なるものをここに書き留めることにしたい。庶民としてこの世に生きる限り、何かの支えや参考になるはずとの変な確信があるからである。
大きな陸続きの大陸に住む庶民に立つ場合、現在の共産党王朝を含め歴代王朝の興亡や兵つわものどもの夢の跡などすべてが、単なる「唯事の連なり」に等しい、と思えるに違いない。
確かに、戦争・戦乱の苦難、専制・圧制の苦痛、その他嫌なことだらけだったに相違ないが、ささやかな別の世界の方がはるかに多かったのはほぼ確信に近い。歴史=唯事史という、庶民らしいすれっからし史観に気付けば、随分と生き方が楽になるのも間違いない。