その秀吉も晩年になると、往年の面影もなくなったのは歴史が語るとおり。死ぬ五か月前に京の醍醐寺三宝院で開いた花見では、宴席には千三百人もの女房をはべらせ、桜と酒と女を堪能したとか。

花見に招かれた家康は、酒の場で本性をさらけ出してしまった老いた秀吉の姿を見て、ほくそ笑んだことでしょう。心の中でひそかにこう囁いたに違いありません。

「かような醸造人の作った酒ならば、飲めばさぞかし悪酔いをするであろうのう。しかし、くれてやるというものを貰わぬ手はないて。まあ、酒は腐るものではなし、ここは少しずつ、ゆるりゆるりとのう。その方が体にも良かろうて」

家康はこの四人の戦国武将の中でも七十三歳と最も長生きをしています。当時の薬に関する専門書である『本草綱目』や『和剤局方』を取り寄せ、自ら薬草を栽培しそれを調合して服用していたというくらいですから、健康にはひときわ注意を怠らなかったようです。江戸幕府の公式史書『徳川実紀』には家康が実践していた健康を保つ八か条が記録されているとか。

㈠ 粗食を常とする

㈡ 冷たいものは口にしない 

㈢ 季節外れのものは食べない 

㈣ 肉もほどほどに食べる 

㈤ 体を動かす 

㈥ 香をたく 

㈦ 薬について学ぶ 

㈧ 酒は「薬」として飲む

言わずもがなでありますが、最後の条文に注目してください。家康は「酒」は「薬」と考えていたのです。 同じ下戸であっても、秀吉は酒を「戦場」と考え、家康は「薬」と考えた。う~む、この損得勘定、どう捉えればいいものやら。下戸の「居酒屋おばさん」に聞いてみようかしらん。

三人の海軍大将

歴史上の著名な人物を上戸と下戸という見方で、その人となりやその人生を探ってきました。すでにお気づきのことと思いますが、上戸組は、はっきりと史書にその名とともに酒に絡むエピソードが出てまいります。しかし、下戸組は全くといっていいほどに出てまいりません。

これは、酒を飲めば当然のことながら人は酔っ払ってしまいますから、上戸は酒に酔って醜態を面前にさらしやすい。常日頃少しの隙も見せまいと澄ましていた人であっても、いったん酒が入るとこの人がこうも変わるものかと驚いてしまうほどに、思いもよらぬ発言や行動をしてしまう。それが実に人間臭さに満ちているからこそ、後世に語り継がれてきたのでしょう。