【前回の記事を読む】「ほくそ笑んだ」…秀吉の酒酔いを見て、家康が思ったこととは

第一部酒編

三人の海軍大将

一方下戸組は、体質的に酒が飲めないのだから仕方がありません。酒をしてこの世にこれほど不味くて後々まで苦痛を伴う飲み物はないと思っているのだから、逸話など残るはずもありません。人間臭さという観点から考えたなら、下戸組は面白みに欠けると言えるかもしれませんね。

しかし、全盛期の秀吉しかり、高年になるにしたがって益々渋みを増した家康しかり。彼らは下戸組の中にあっても、例外中の例外といえるのではないでしょうか。

そこでわが国の歴史上でそのような下戸なる人物はいないものかと探してみたところ、まさにこの人こそふさわしいという方をひとり見つけました。

冒頭私は、下戸は史書に残らないと言いましたが、この方は一滴も酒を飲めなかったと、はっきりと書かれています。この点からしても例外中の例外と言えましょう。

作家の阿川弘之は、その名著『山本五十六』(新潮文庫)の中で、山本は酒が飲めなかったと書いています。山本五十六についてはその他多くの書籍が出版されており、そこには必ず酒についての記述が出てきますが、酒量については下戸。

しかし、酒席の場は人一倍に大好きで、実に場持ちも巧みで上手でした。花柳界のお姉さん連中にも絶大な人気があったようです。

ときには窓の手すりをつかんでひょいと逆立ちをして皆を驚かせたり、お銚子の底を手の平に上手に貼りつけて、その状態のまま同僚や上司の席を回って、器用に酒を注いでみせたというのですから、これは往年の秀吉を彷彿とさせますね。

しかし、その山本も将官に昇進し上座に座るようになると、今度は下の連中が「長官、長官」と酒を注ぎに来る。これにはさすがの山本も閉口したようで、ひそかに山本専用の特別の「酒」が入った徳利を脇に用意させていたそうです。

「おう、俺はこれでやっている」

と、その徳利を差し出して杯を受けた。

その山本専用の徳利には、水が忍ばせてあったということですから、なるほどこちらの方でも戦術に長けていたわけですな。

阿川弘之は、『山本五十六』の後に、海軍三部作と呼ばれる他の二作『米内光政』と『井上成美』(いずれも新潮文庫)も執筆しています。名前がそのまま題名になった三人の海軍軍人は、昭和十二年に山本五十六が海軍省で海軍次官を務めていた時の上司である海軍大臣が米内光政。井上成美は、山本の下で軍務局長。ドイツ・イタリアとの三国同盟に最後まで頑強に反対した海軍三羽烏として歴史に名を残しています。

戦後になって、米内に海兵三期後輩の山本のことを聞いたところ、米内はひとこと「茶目ですな」と答えたとあります。

山本が命を張って同盟に反対したことなど一切言及することなく、ただひとこと「茶目ですな」とは、いかにも米内らしいひょうひょうとしたもの言いです。