【前回の記事を読む】検証!歴史に名を残した有名人は「酒で人生を損したのか?」

第一部酒編

信長と光秀

日本人に歴史上一番好きな人物をひとり挙げよと問えば、五人に三人は「信長」と答えるとか。一位はダントツで「信長」になるそうです。

ちなみに二位は時代を幕末・維新まで下って「坂本龍馬」。三位はなぜか中国に飛んで、しかも時代をさらにずっと遡らなければなりません。「諸葛孔明」になります。

あっ、本著は歴史に名を残す人物と酒にまつわる話を探っているのでした。歴史上の人物の人気投票をしているのではありませんでした。話を本題に戻しましょう。

前章で取り上げた戦国を代表する四人の武将の中で、唯一酒量についての記述が残っているのは信長。当時来日していたポルトガルの宣教師ルイス・フロイスが記した『日本史』には、信長は「朝早く起床し、酒を好まず、食を節するなど極めて健康的な生活を送っていた」という記述が残されているとか。

信長は数多く時代劇でも取り上げられていますね。酒宴のシーンなどもよく出てまいりますが、家臣ともども和気あいあいとして酒を楽しんでいるといった演出には、お目にかかったためしがありません。

たいがいは突然怒り出して、杯を家臣に向かって投げつける。それでも気が収まらず、殴りつけたり足蹴にしたりして、辱めることをためらわない。

その足蹴にされた代表格が、秀吉と光秀ということになりましょう。

現役の整形外科医でありながら作家でもある篠田達明は、その著書『モナ・リザは高脂血症だった』(新潮新書)で、「幼児期に親からうとまれたこども(信長は母親の土田御前に疎遠にされた)は、長じて粗暴かつ奇矯な行動をしめすことが多い」、「こうした性急で激高しやすい性格は、高血圧を招きやすいことが知られている」と記しています。

下戸でしかも癇癪持ちであった信長にしてみれば、酒席で家臣たちが当たり前のように楽しげに酒を酌み交わし、大声で笑いあっているのが許せなかったのに違いありません。

私は医者でもなく、かつ歴史学者でもありませんが、たとえ信長が数多く居並ぶ家臣の面前で、光秀を足蹴にして辱めるようなことをせず、ゆえに本能寺で憤死することもなかったとしても、やはり天下を手中にすることはかなわなかったのではないかと考えます。

おそらく癇癪が高じて脳溢血でパタリということになったのではないでしょうか。酒で気を紛らわすということを知らなかった、いや知ろうともしなかった信長は、下戸であったがゆえに大損をしたということになりはしまいか。