若君と呼ばれた青年の名は李徳裕、唐王朝十一代皇帝憲宗の下で宰相を努める貴族官吏李吉甫の息子、登用されたばかりの気鋭の官吏だった。
「若君は昨夜も遅くまで書を読んでいらっしゃいました。連日のお疲れが溜まったのではないでしょうか」
「明日は役所が休みだと思い、夜更かしが過ぎたかな」
「夜明けにはまだ間があります。もう一度お休み下さい」と言って、春鈴は乱れた李徳裕の布団を掛け直し、部屋を出ようとした。
「春鈴、折角来たのだ。慌てて戻ることもあるまい」
「あっ」小さく声が漏れ春鈴の腰が蹌踉けた。
李徳裕が布団の中から、春鈴の腕を握って引き寄せていた。
「若君、お止し下さい!」
逃れようとする春鈴の身体が、布団の上に倒れかかった。
「よいではないか、夜明けにはまだ間があるのだろう」
親しみと悪戯の入り混じる笑顔を向け李徳裕は諍う春鈴と目を合わせた。
「若君、お戯れはお止め下さい、お願いです……」
逃れようとする春鈴の足掻きも徐々に弱まり、身体は李徳裕の布団の内に引き入れられ、声を出そうとした口許は李徳裕の唇で優しく塞がれ、柔らかく抱きすくめられた。身悶える春鈴の胸元は露になり、柔らかな太股が李徳裕の指先で滑らかに開かれる。固く瞼を閉じたままの春鈴の腕は、おずおずと李徳裕の背に回されていた。
瞼を透かす淡い光を感じ李徳裕が目を開いた時、枕の周囲に薄明りが広がり、温かみを帯びた空気で室内は満たされていた。
軽く首を捻った李徳裕の前に、薄物の襟が開けた白い胸の膨らみが。
徐々に昨夜の記憶が甦り、頭を上げるとつぶらな眼の春鈴と目が合った。
「坊門の太鼓を聞き逃したようだが、春鈴は聞いたか」
「私は終わりの音を少しだけ聞きました。鳴り止んで半刻余り経ったかと思います。申し訳ありません」と、恥じらいながら目を伏せた。
「寝過ぎたな……」
「お疲れのご様子でしたので、起こしてはならないと思い、お目覚めになるのをお待ちしていました」
「寝言は言わなかったか」
「いえ、何も……」
「春鈴は愛い奴と、言わなかったか」
「お揶揄いなさらないで下さい」
顔を赤らめた春鈴は、膝を揃えて寝台を下りる。
大きな伸びをして起き上がった李徳裕が北東の窓を開くと、日の光と共に心地好い涼風が流れ込み、思わず鼻腔を開き空気を吸い入れた。