一九九七年 ナオミ@社員寮

夜の職場は乳児でさえ預かる場所を紹介してくれた。紹介された託児所にたどり着く。個人名の表札に不安を覚える。ドアが開き、疲れ切った容貌の中年女性が出てきた。保育士の資格があるようには見えない。不安。けど迷ってる場合じゃない。ドアの内側はやはりどう見ても彼女が棲む場所で、六畳二部屋の片方にすでに五人の赤ん坊がいる。

「今日は、この後もまだ赤ちゃんが来るんですか」

「あんたの他に後、二人の予定さ」

ナオミの引きつった表情に女主人は言った。

「心配しなさんな。泣いたらミルクやるしオシメだって替えるから」

ナオミは情けなくて涙が溢れてくる。

「べっぴんさんが台無しじゃないの」

彼女は思いがけず優しいトーンで慰め始めた。

「ほら、この子のために金が要るんだろ? 笑顔作るんだ。あたしゃ、こう見えても子どもは好きなんだ。抱っこだってしてやるよ。あやしてやる。だから、人生のどん底から這い上がるんだよ。踏ん張るんだよ」

そう、踏ん張る。翼を羽ばたかせ飛び立ってる場合じゃないんだよ、アタシ! 空じゃなくて大地! 逆方向なんだってば。この子がおっきくなったらロケットみたいに高く飛んで行けるようにアタシが発射台になってあげる。

新しい仕事場に必要なドレスを買うお金は前借だと言われた。工場で働いていたときの制服はクリーニングも含めてお金はかからなかった。環境が急激に変わっていく。それでも、アタシの体はまだ完璧。アイラインもつけまつげも似合う。久々に武装準備が整いアドレナリンが放出される。

輸入された豪華な花が演出する華やかな戦場に赴く。店長が、細心の注意を払うように、と優しく言う。一番、大切な技術、男のメンツを立てる。甘えかた、媚びかた。明るく甘い声のトーン。こーちゃん以外の誰かにそんな態度、とれないよ。こーちゃんには、そんなの、技術じゃなかった。

レーザーのように切り裂く客たちの視線の間を用心深く泳ぎ回る。店内の仕切りを兼ねた薄い水槽に棲む熱帯魚が水中から人間を観察するように、回遊しながら客の心を読もうと努めた。おじいちゃん、天国でアタシを見守ってくれてるよね。笑顔に閉じ込めなければならない忍耐が内心、毎日爆発する。かつて細密な感覚器だった皮膚を鎧に変えた。

相手のことは、見えても視ない。臭ったら息を止める。こんなことになって、何の罰なんだろ? アタシ、そんなに悪いことをしてきたのかなぁ。そんなつもりないんだけど。でもがんばろ、がんばんなきゃ。踏ん張れ!