一九九七年 ナオミ@社員寮
「日頃の行いがなってないからや」
義務と義理の社会を生き抜いた祖母の背中は丸くなり、ますます小さくなった。引き戸にかける節くれだった十本の指は日焼けのせいで肌荒れさえも目立たない。今でも毎日、草取りをしてるんかな。
「親不孝は親譲り」
やっぱり。こういう反応な気はしてた。おばあちゃん。我慢ばかりの人生を耐え忍んだからといって誰もが包容力アップ、というわけにはいかないみたい。動揺していた祖母の視線がナオミの腹部に無神経なほどに定まった。
「信用を築くにゃ何十年もかかるのに、失うのは一瞬や」
まばたきをしない。
「恥ずかしい孫を置いておくわけにはいかん。お母さんの躾が悪いからお母さんの責任や。子どもは厳しく育てないかんのに。そいやけ体が大人になったらすぐに子どもができて男に捨てられて」
大げさにため息をついた。
「みっともない。お母さんの世話になるしかないやん」
どこにもいくところがない。
「確かに」
祖母は喉からだけの声を出した。
「親になるんは、責任感も道徳心もいらんわな」
「もう二度と来ません。ご迷惑をおかけしました」
会社で覚えた謝罪法をここでも繰り返した。一歩下がり麦わら帽子を被った。肉親なら少しは喜んでくれるかと期待したのが間違いだった。血のつながりなんてないと思わなければ。祖母の顔を見るのが嫌になり下を向いた。
「申し訳ありません」
職場で言い慣れた言葉。途方に暮れる。でも、ここで目の前の人を恨んだり怒ったりしたら余計に惨めになる。おばあちゃんの世代は、生まれるときに親を選べないように結婚相手も選べない時代だった。おじいちゃんは優しい人に見えたけど。でも一緒に暮らしてたひいおじいちゃんは仙人みたいな齢なのに細かくて、何でもおばあちゃんにやらせてた。
何を言われても素直に行動に移すおばあちゃんにビックリした。きつい言い方の矢がおばあちゃんに次々に刺さっていった。アタシなら防弾服が必要。不幸な結婚生活だからといって逃げ出す場所はない、そうママが言ってた。十キロ歩いても店もない。子どもたちと荷物を運ぶための、車もバッグも、ポケットのある服さえない時代。そこにいるしかない。
街で生まれ育つと見えないことがいっぱいある、って真面目な表情でママが言うから忘れられなかった。