野球馬鹿
「38番のお客様お待たせしました」
幸太は彼女の窓口に進んだ。彼女は変わらぬ優しい笑顔で幸太を見ている。二週間ぶりだが幸太にはずっと長く感じられた。
「どのようなご用件でしょうか?」
「貯金を下ろしたいのですが、通帳と印鑑を持ってきました。少額なので申し訳ないですが」
「いえ、かまいません。キャッシュカードは作っていらっしゃいませんか?」
「いや持ってはいるのですが、どこへしまったか見つからないので」
嘘をついた。
「それはお困りでしょう。作り直しますか?」
「あ、いやそれはいいです」
「でも落としていて、誰かに拾われて悪用されたら大変です」
幸太はすごく心苦しくなって、腋の下に汗が出るほど焦った。
「い、いえきっと家の中にあります。今度ゆっくり探してみますから」
「わかりました。それではここにお名前と金額を書いて印を押してください」
幸太は払い戻し用紙に書いたあと、印を押す前に話しかけた。
「先日はご迷惑をおかけしました。二週間ほど経ちましたが」
彼女は切れ長の目を少し丸くし、幸太の顔を見つめた。ふたりの間で時が止まった。ほんの一秒か二秒沈黙があっただけなのに、幸太はそう感じた。
やはりだめか、諦めよう。
その時、
「ああ、この前印鑑を間違えられた……」
彼女の顔がパッと明るくなった。幸太は手に持った印鑑を少し掲げ、作り笑いではなく自然に微笑んで軽くうなずいた。
席で待つように言われた幸太はソファーに向かう途中、ドアの向こうで様子を窺っている剛史と祐介に気づき、さりげなく右手のこぶしを握って見せた。